もっと後の箇所で[1]

12 「あなたは、ファラオに言いなさい:『主は次のことを言われる:イスラエルは私の長子。私はあなたに言った:あなたは私の民を送り出して、私に仕えるようにさせなさい。しかしもしもあなたが、民を送り出すことを望まないなら、見よ、私はあなたの長子を殺すだろう』[2]」とある。それらの言葉は義なる神に由来すると主張し、ファラオの心が固くされたことを手近な意味で理解する人たちに対して次のことが言なければならない:自分の民を送り出さないようにするために王の心を固くした方、もしも解放しないなら彼の長子を殺すと脅かした方が、どうして義なる方なのかと。彼らは当惑して、神は邪悪であると認めるだろう。また、彼らは(聖文書の)別の言葉からも圧倒され、手近な言い回し[3]に隷属しないように導かれるだろう。なぜなら手近な言い回しは、彼らによると、創造主の正義を守ることができないからである。やむなく彼らが、それらの言葉を解釈する必要に迫られたら、彼らはもはや創造主を非難することはなく、むしろ彼が善なる方であると主張する方向に歩むだろう。

 そこで、「主はファラオの心を固くした[4]」という言葉を理解したと思っている人たちに尋ねなければならない:彼らは、それらの言葉を神がかったモーセを通して神によって真実として言われたと信じているのか、それとも偽りとして言われたと信じているのかと。もしも偽りとしてであれば、彼らによれば神は義なる方でもなく真実な方でもなく、それらに関する限り神でもない。もしも真実としてであれば、(神はファラオを)自由意志を持つものとして非難しているのではないかを彼らは考えるべきである。神は言う:「もしもあなたが民を送り出すことを望まないなら[5]」と言っている。別の箇所でも、「あなたはいつまで、私を敬うことを望まないのか[6]」と言っている。実に、この「あなたはいつまで、私を敬うことを望まないのか」という言葉は、――敬うことができないからではなく、望まないがゆえに――敬わなかったファラオに対して、恥じ入らせるために言われた。また、前の箇所でモーセからファラオに対して言われた言葉:「大地が主のものであることをあなたが知るために。そして、あなたとあなたの従者たちよ、私は、あなた方が主を決して畏れなかったことを知っている」は、彼らが畏れるだろうと言うことを示している。そのことは、異なる考えを持つ人たちとは反対に、滅びる本性は存在しないことと神の善性とに適合している。



[1] 『出エジプト記』(4,22-23)に関する評注であると思われる。

[2] Ex.4,22-23.

[3] 訳文中の「手近な意味」や「手近な言い回し」は、「文字通りの意味」ということである。訳者(朱門)は、毎度のことながら「文字通りに」訳している。

[4] Ex.9,12; 10,27; 11,10.

[5] Ex.4,23.

[6] Ex.10,3.