今度は、『雅歌注解』第二巻から
13 この箇所では次のことに注目すべきである:すなわち、太陽は、白く輝くばりでなく、黒くすることの原因を持っているように思われる――ただし、それ自身によってではなく、我々が証明したように、黒くなる人のゆえに[1]。主は、おそらくそのようにしてファラオの心を固くしたのだろう[2]。その原因は、数々の辛い作業においてヘブライ人たちの生活を悲惨なものにした彼自身にある――粘土と煉瓦において、そしてすべての作業において[3];諸々の山や諸々の丘における諸々の作業ではなく[4]、諸々の野原における諸々の作業によって。実際、自分自身の悪徳によって質料的になってしまった人は、実に万事につけて肉に従って生きており、他ならぬ粘土の友として、ヘブライ人たちも粘土作りをするように望んでいる。なぜなら彼は、粘土から清められていない主導能力[5]を持っているからである。この主導能力は、粘土が太陽によって固くされるのと同じように、イスラエルを視察する(ために発せられた)神からの諸々の光輝によって黒くされた。それらの事柄がこの箇所の諸々の言葉の内にあること、奉仕者(モーセ)には単なる歴史を記載する意図のなかったことは、次のことを洞察した人には明らかである:すなわち、イスラエルの子らが呻いたとき、彼らは呻いたのは、煉瓦によってでもなく、粘土によってでもなく、諸々の藁によってでもなく[6]、諸々の作業によってである[7]。「彼らの叫びは、主の許に昇った」――粘土によってでなく、「諸々の作業によって[8]」。それゆえ神も、彼らの諸々の呻きを聞いた[9]。神は、諸々の作業によってでなく、粘土と諸々の土的な行為によって神に叫ぶ人たちの呻きは聞かない[10]。
[1]
Cf.Ct.1,5-6;
Com.Ct.II.
[2]
Ex.9,12;
10,27; 11,10.
[3]
Cf.Ex.1,14;
Hom.Ex.I,5; Hom.Nb.XXVII,2.
[4]
Cf.Ct.2,8;
4,6; Com.Ct.III; Hom.XV,3.
[5]
『原理論』(
III,1,4)によれば、自由意志の座である。もちろんストア派の概念に由来する。
[6]
Cf.Ex.5,7.
[7]
Cf.Ex.2,23.
[8]
Ex.2,23.
[9]
Cf.Ex.2,24.
[10]
「諸々の作業」は、いわば霊的な業であり、「諸々の土的な行為」と対比されている。