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 ともあれ、以上のようなことを、「主はファラオの心を固くした[1]」ということに関して、我々は理解している。神の言葉は医者である[2]。彼は、治療ために極めて多彩で、体調の悪い者たちにとってもっとも適切で、もっとも時宜にかなった諸方法を利用する。しかし、治療のための諸方法の中には、治療に導かれた者たちに、大なり小なりの諸々の痛みと諸々の苦悩をもたらすものもある。また諸々の世話は、ある時は理不尽な仕方で行われたり、ある時はそうでなかったりする。また、より迅速であったり、より遅くであったりする。そして、罪にすっかり浸った後で、あるいは、いわば罪にわずかばかり触れた後にであったりする。神霊的な文書[3]の全体は、(それらの)一つひとつに対する諸々の証言に満ちている。大なり小なりに悲惨な諸々の世話が――民の諸状況に応じて、改心と矯正のために、数々の大小の戦争と、数々の長期のあるいは短期の飢饉とにおいて――その民に生じたことが(その文書に)記載されている。「私は、お前たちの娘たちが売春を行っても、彼女らを顧みないお前たちの嫁たちが淫行を行っても顧みない[4]」という言葉の内では、理不尽な仕方で(世話が行われている)。おそらく(神は)、気持ちよいと考えられている諸々の身体的な事柄に甚だしく浸っている諸々の魂を各自の為すままに放置するだろう――それらの魂が満たされて、それらが渇望していた諸々の事柄を退けるまで。それはあたかもそれらの魂が、欲しがっていたそれらの事柄に浸れば浸るほど苦悩が増すため、それらを吐き出して、もはやそれらにすぐさま陥ることがないかのように。諸々の害悪から迅速に引き離されたために同じ諸々の事柄に再び陥ることを物ともせぬかもしれない魂たちは、いっそう遅く治療に導かれる。製作者としての神は、それぞれの(魂の)諸々の状態を知っており、諸々の治療を賢明に施すこと――これは彼だけに掛かっている――ができる方として、いつ何をそれぞれ(の魂)に行うべきかを知っている[5]



[1] Ex.9,12; 10,27; 11,10.

[2] オリゲネスにとって、神のオイコノミア(経綸)を理解する上で基本的な概念だが、彼に独自のものではない。.

[3] 「神的霊感を受けた文書」(h` qeo,pneustoj grafh,)

[4] Os.4,14.

[5] 彼に独自のものではない。

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