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 或る身体的な諸々の病苦に関して、言うなれば(身体の)奥底まで害悪が進行してしまった場合、医者は、何らかの諸々の薬によって(病の)質料を明るみに引き出す――諸々のひどい炎症と諸々の腫れと、人が治療を受ける前に持っていた以上に多くの痛みとを作り出すことによって。狂人たちや、何らかの同種の諸々の病を患っている他の人たちについても、同様にするのが彼らの常である。神も、魂の奥底に進行して隠れた悪徳を同じように経綸する[1]

医者は、然々の人について次のように言う:「私は、酷い膿みを生じさせるために、平穏な場所の辺りに諸々の炎症を作り、然々の諸部分を腫れさせるつもりだ」と言うかもしれない。医者がそれらのことを言ったとき、多少とも知識の或る人は、彼がそれらのことを言った場合、非難するどころか、それらのことを脅かすかのように生み出す人を賞賛するだろう。ところが、健康にすべき医者が、諸々の炎症と諸々の腫へと(患者を)導くなら、その医者は、医者たちの約束とは異質のことを行うと主張して非難する人もいるだろう。同様に私は、神も、「私はファラオの心を固くする[2]」と言ったと考えている。それらのことが書き記されているが、それらを神の諸々の発言として聞く人は、(そうのように)言った方の尊厳を尊重しつつ、受け入れる。そして「探求する人は皆」、それらの言葉の中に、神の善性が現れていることを「見出し[3]」、証明することができる。

表面的には(それらのことは)、多くの不思議を通して信仰を強めた民の救いのためです。次に、数々の出来事に驚愕してヘブライ人たちの後に続くことになっていた限りでのエジプト人たちをめぐるものです。「エジプト人たちの多くの民が合流し、彼らとともに出て行った[4]」と(聖文書は)言っています。しかし、より深く隠れた意味で、(それらのことは)おそらく、ファラオ自身の利益のために起きただろう。彼は、もはや毒素を隠さず、症状を抑えず、それを白日の下に引きずり出し、おそらく(そう)行うことによって解き放つ。それは、内在する邪悪のすべての要素を吐き出しつくし、諸悪を結ぶ木をその後は萎えさせるためであり[5]、彼が(海に)呑まれたとき、おそらくは徹底的に干からびさせるためである。しかし、そう考える人もいるかもしれないが、彼が完全に滅びるため(海に呑まれるの)ではない[6]。諸々の罪を捨てることによって(罪の重みから)軽くされるためであり、そしておそらく平和の内に、あるいは魂の悲惨な戦いを経ずに、黄泉に降るためである[7]



[1] 直訳している。「同じように処置する」と訳すべきだが、理由があってそうはしない。

[2] Ex.7,3; 14,4-17.

[3] Mt.7,8.

[4] Ex.12,38.

[5] (主導能力)は、諸悪を結ぶ木にも、諸善を結ぶ木にもなる。

[6] ファラオ自身は完全に滅ぼされないということ。

[7] Cf.1R.2,6.

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