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 しかし読者の人たちは、語られた事柄――すなわち、ファラオの心が固くされたことは結局のところ彼にとって有益になったこと、そして、(聖文書に)記載されている(紅海への)水没に至るまでのすべての事柄は彼のために起こったということ――が強引であると思い、信じがたくなっているかもしれない。しかしあなたは、我々が(そこから)信じがたい事柄を取り去って、語られた諸々の事柄に関して諸々の信じ得る事柄をもたらすことができるかどうかをご覧ください。「罪人たちの諸々の鞭打ちは多い[1]」と、ダビデは言う。しかし彼の息子は、「神は、ご自分が受け入れたすべての子を鞭打つ[2]」と教える。さらにダビデ自身も、キリストと彼を信じる人たちとに関する約束を預言し、次のように言っている:「もしも彼の子らが私の律法を捨て、私の諸々の決定を守らないなら、もしも彼らが私の諸々の定めを汚すなら、そして私の諸々の命令を守らないなら、私は、棒の内に彼らの諸々の不正を顧み、鞭打ちの内に彼らの諸々の不義を顧みるだろう。しかし、私は私の憐れみを彼らから消散するつもりはない[3]」と。したがって、不法な者が棒の内に顧みられ、罪人が鞭打ちの内に顧みられることは、主の恵みである。そして、罪を犯す者が鞭打たれない限り、彼はまだ教育と矯正に導かれていない。それゆえ神は、ユダヤに居住する者たちの諸々の罪が多くなったなら、彼らの娘たちが売春を行ったとき、もはや彼女たちを顧みず、彼らの嫁たちが淫行を行ったとき、もはや彼女らを帰りみないと脅迫する[4]。別の箇所でも次のように言っている:「私はお前を清めたのに、お前は清められなかった。それゆえ私は、もはやお前のことで怒らないだろう。私はもうお前を妬まないだろう[5]」。したがって、(神が)怒っていない罪を犯している者たちに対し、(神は)いわば憤激しつつ怒らない[6]



[1] Ps.31,10(訳者朱門は直訳している).

[2] Pr.3,12.

[3] Ps.88,31-34. この引用句は、オリゲネスのお気に入りである。

[4] Cf.Os.4,14.

[5] Cf.Ez.24,13.

[6] これはもちろん、直訳である。意訳すると、「したがって、神は罪を犯している者たちを起こらないことがある。しかし神は彼らに対し、いわば憤激しつつ起こらない」となる。

 

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