第4章

 聖書の諸々の文法上の誤りと粗末な表現について。『ヨハネによる福音注解』第四巻の冒頭から三丁後の抜粋[1]

 言葉と諸々の意味と、それらの意味が指し示す諸々の指示対象[2]をみずから区別する人は、諸々の言葉の文法上の誤りにつまずくことはないだろう。なぜなら彼は、探求することによって、諸々の言葉が健全に指し示す諸々の指示対象を見出すからである。いわんや聖なる人たちが、自分たちの言葉と宣教が知恵の説得力ある言葉の内にあるのではなく、霊と力の証明の内にある[3]ことを認める場合には、特にそうである。



[1] 一丁(fu,llon)は、2ページ分のパピルス紙ないしは羊皮紙、すなわち見開き2ページに相当する。

[2] fwnh. kai. shmaino,mena kai. pra,gmata kaqVw=n kei/taita. shmaino,mena) 「言葉」、「意味」、「指示対象」と訳したギリシア語は、オリゲネスの著作の中でしばしば使われており、いずれもストア派の文法用語である。

[3] Cf.Co.2,4.