第5章

多言とは何であるか、聖書の多くの諸巻は何であるか。そして神の霊感を受けた一切の書は一つの巻物であること。『ヨハネによる福音書の序文に関する注解』第五巻からの抜粋[1]

 貴殿は、私どもに対する神の警護者たちの勤めを差し当たり果たしてきただけでは満足せず、貴殿のために、そして貴殿に対する当然の務めのために、多くの時間を割くように貴殿は求めておりますので、私は労苦を避けるために、そして諸々の神的な事柄に関する執筆に専念する人たちに神から与えられた危険を回避するために、聖書の一節を引用して私自身を弁護し、多くの巻物を作ることを許していただきたいと思っています。実際、ソロモンは『伝道の諸』の中で次のように言っています。「我が子よ、多くの巻物を作ることを警戒せよ。(それは)際限がない。また多大の勤勉は肉の疲れである[2]」。実のところ、いま引用した言葉が私どもには未だに不明瞭で何かしら隠された意味[3]を持っていないのであれば、私どもはその掟を紛れもなく踏み破ったことになります。なぜなら私どもは、多くの巻物を作ることを警戒しなかったからです。



[1] 本断片は、『ヨハネによる福音注解』第五巻(現存しない)冒頭からの断片である。カイサレイアのエウセビオスも同巻から、使徒たちによって書かれた諸書のリストを引用している。Cf.HE.vol.IV,25,7-10.

[2] Si.12,12.

[3] nou/j tij kekrumme,noj kai. e;ti h`mi/n avsafh,j.訳者が何度も指摘した通り、「意味」と訳した原語ヌースは、オリゲネスの聖書解釈にとって重要なキーワードである。