次に彼は、福音書のわずかな言葉に関して四巻が仕上がったと言って、付け加えている。

 

 言葉通りの意味に関する限り、「我が子よ、多くの巻物を作ることを警戒せよ[1]」という言葉から二つのことが意味されます。一方は多くの巻物を所有すべきではないということであり、他方は多くの巻物を作成すべきではないということです。そしてもしも前者でないとすれば、確かに後者であり、後者であるとすれば、確かに前者ではありません。ただし、いずれの意味でも、私どもは、多くの巻物を作るべきではないということを理解したいと思います。そうしますと私は今、私どもに思い浮かんだ意味に立脚して、貴殿にこの言葉を弁明として送ることができたでしょう。そして聖なる人たちも多くの巻物の作成に時間を費やさなかったということから、このことを立証して、私どもがお互いに交わした約束に従って貴殿に送るべきものを口述することを、今後、差し控えることができたでしょう。そしておそらく貴殿も、この(聖書の)言葉に衝撃を受けて、今後、私どもに同意してくださるかもしれません。しかしながら聖書をよく入念に吟味しなければなりませんし、剥き出しの言葉を受け取っておきながら、みずからに甘んじて軽率に理解することのないようにしなければなりません。ですから、私は今、私自身のために現れた弁明に拘泥するつもりはありません。おそらく貴殿にしても、もしも私が(貴殿との)約束に反して振舞ったとすれば、私に対してその弁明を引き合いに出して利用することでしょう

 先ず、歴史がこの(聖書の)言葉を弁護しているように見えますので、すなわち聖なる人たちの誰一人として、多くの作品を世に出したり、多くの書物の中で自分の思いを表明することもありませんでしたので、このことについて言わねばなりません。ところで私が多くの書物の作成に到ってしまったと言って私を非難する人は、あれほど偉大であったモーセさえ、たった五冊の書物しか残さなかったと言うでしょう。



[1]  Si.12,12.