以上のことが、そもそも一つの巻物が何であり、多くの巻物が何であるかを、我々に確信させることができるとすれば、今後、私は諸々の書かれた事柄の量によってではなく、諸々の理解された事柄の価値によって[1]、戒めの違反に陥らないように一層の注意を払いたいと思います。もしも私が、諸々の書かれた事柄の一つにおいてでさえ、真理に反する何ごとかを真理として提示した場合には、私は、多くの巻物を書いたことになるでしょう。ところで異端者たちが、グノーシスの口実の下に、キリストの聖なる教会に対して立ち上がり、福音書と使徒の諸々の言葉の解釈を約束する一群の文書を提示しています。もしも私どもが沈黙を守って、それらの文書に対して、諸々の真実で健全な教えを対置しなければ、救いをもたらす糧の欠乏によって、諸々の禁じられた食べ物、真に不浄で不快な食べ物を希求する諸々の飢えた魂を、彼らは虜にするでしょう。それゆえ、教会のみ言葉ために偽りなき代表者となることができ、偽りのグノーシスを手にする人たちを反駁しすることができる人は、異端の諸々の作りごとに対して立ち上がり、古い契約と言われるものと新しい契約と名づけられるものとに共通する諸々の教義の調和に満ちた福音宣教の崇高さを対置する必要があります。実際、非理性的で粗野な信仰に耐えられなかった貴殿自身も、諸々のいっそう優れた事柄の代表者たちがいなかったため、イエスへの愛のゆえに、一時は(異端者たちの)諸々の言葉に身を捧げたのでした。もちろん貴殿は後に、貴殿に与えられた理解力を駆使して、それらの言葉を然るべく断罪し、それらの言葉から離れました。

 以上は、語り書くことのできる人たちを弁護しつつ、私の思い浮かぶところに従って述べてみたものです。それはまた、私が、神によって「文字によらず霊による新しい契約の奉仕者に相応しいものとされた人[2]」に必要な状態にないにもかかわらず、敢えて口述に専念するのではないかと案じて、私自身のために弁護するためでもありました。



[1] ouv dia. to. plh/qoj tw/n grafome,nwn avlla. Dia. th.n du,naming tw/n nooume,nwn

[2] 2Co.3,6.