第7章

 聖書の人物たちの諸々の個性について。オリゲネスが青年時代に書いた『雅歌小注解』からの抜粋[1]

 聖書の諸々の人物――語る人物たちと、話が向けられる人物たち――を把握しない人に対して、(聖書に)語られた諸々の事柄は大いなる混乱をもたらしている。彼は、語る人物が一体どのような人であるのか、話が向けられる人物がどのような人なのか、また、語る人物がいつ(話を)やめたのか問題にする。なぜなら話が向けられている人物がしばしば保持される一方で、今度は別の人が同じ人物に語っているからである。あるいは、語る人物は同じなのに、話が向けられている人物がもはや(それを)聞いてはおらず、他の人が諸々の語られた事柄を受け入れている。また、両者、すなわち語る人物と話が向けられる人物が変わる時もある。さらには両者が変わらずにいるのに、変わらずにいることが明瞭に示されない時もある。どうしてこれらの一人ひとりの人物について、事例を探す必要があるだろうか。諸々の預言書は、実に多様な人物で満ちている。このような多様性が――それが識別されない場合――、諸々の語られた事柄の不明瞭さの原因である。しかし、ある事柄についての話から他の事柄についての話にすぐに飛んでしまうという聖書の常套的なやり方それ自体も、不明瞭さの原因となっている。特に預言者たちは、このことを不明瞭に、しかも混乱した仕方で行なっている。



[1] 省略