兄弟の矯正

 もしもあなた方が、私が述べたこの破廉恥な視線をあなた方の内の誰かに認めたなら、直ちに彼に忠告し、端緒に着いたばかりのことが更に進行しないよう、早々に矯正するようにしなければならない。しかしその者がこの忠告の後もまた、あるいは他日、同じことを行うのをあなた方が目にした場合には、このことを見出すことのできた人は、この者を治療すべき負傷者として告発しなければならない。しかしその前に、その目撃者は、別の人にあるいは第三の人にこのことを知らせなければならない(Mt.18,15-17)。それは二人または三人の口によってその者に非を認めさせ(Dt.19,15;17,6)、適切な厳しさでその者を罰することができるようにするためである。

 あなた方は、これを指摘するとき、自分を悪意ある者だと判断してはならない。いや、それどころかあなた方が、指摘することによって矯正できるあなた方の兄弟を、沈黙することによって滅びに任せるならば、あなた方は無辜ではない。たとえば、あなたの兄弟が、自分の身体に傷を受け、しかも切断されるのを恐れてこの傷を隠そうとしている場合、あなたがそれを黙過するのは残酷であり、それを指摘するのが慈悲に適っているのではないだろうか(Pr.11,17) それならばなおさらのこと、心の傷が腐敗してこれ以上悪化しないよう、それを明らかにすべきなのである!

 しかし、自分の過ちを否定した者にその非を認めさせるために、他の者たちにを知らせるに先立って、彼が忠告を受けたにもかかわらず矯正を蔑ろにする場合には、先ず長上にそのことを知らせるなければならない。それは、他の者たちに知られることなく、彼を密かに矯正することができるようにするためである。しかし彼が否認するならば、そのときにはすべての人の面前で、他の者たちをその否認者の前に呼び寄せなければならない。そうすれば、一人の証人では非難することができなくても(1Tm.5,20)、二人または三人によってその非を認めさせることができるだろう。

 他方、その者が非を認めた場合、その者は、長上もしくは裁量権を有する司祭の裁決に従って、矯正的な懲罰を受けなければならない。しかしその者がこの処罰に服するのを忌避しなたら、たとい自ら立ち去ろうとしなくても、その者は、あなた方の会から追放されなければならない。これは、残酷な措置ではなく、むしろ慈悲深い措置である。なぜならこれによって彼が、致命的な悪影響を及ぼして、多くの者たちを滅びにいたらせることがなくなるからである。

 私が妄りがましい視線について述べたことは、その他の、見出され、阻止され、指摘され、確証され、裁かれるべき罪についても、慎重かつ忠実に、そして人間への愛と悪徳への憎しみとをもって、守られなければならない。

 他方、手紙や贈答品を密かに受け取るほどの大きな悪弊に進んでしまった者がみな、自発的にこれを告白すれば、大目に見られるように、また、その者のために祈りが捧げられるようにしなければならない。しかし現場を押えられ、その非を認めるならば、その者は、長上ないしは司祭の裁決に従って一層厳重に罰せられなければならない。

次へ