36 雛形に基づかなければ、業は立ち上がりません[1]。それとも来たるべきものは、予型的な像を通して見られないのですか。それゆえ、来るべきものの雛形が――蜜蝋からであれ、粘土からであれ、木からであれ――作られます。それは−−偉大さにおいて崇高で、外形において美しく、備品において豊かな――来るべきものが、ちっぽけで可滅的な下絵を通して、立ち上がるのが見られるようになるためです。



[1] 訳者(朱門)は直訳している。「あらかじめ準備された手本に依らなければ業は成らない」という意味である。