律法は古いものですが、み言葉は新しいものです。予型は一時的なものですが、恵みは永遠なものです。羊は可滅的なものですが、主は不滅です。彼は、子羊として生け贄にされましたが、神として復活されました。実に彼は、「羊のように生け贄にされるために連れて行かれました[1]」が、羊ではありませんでした。彼は、声なき子羊のようでしたが、子羊ではありませんでした。確かに予型は生じましたが、真理は見いだされました。



[1] Is.53,7.