十二人のシトー会土の長となったオスマの司教――説教者修道士ドミニコ

 

同じ頃、教皇イノセントはアルビーの地へ十二人の修道士とひとりの教皇使節を派遣した。その目的は、カトリックの信仰を拡め、異端の誤謬を正すことにあった。彼らは同地において、大司教・司教および他の高位聖職者より成る会議を招集し、委ねられた責務をいかにしたら容易に果たせるかを互いに研究していた。

前述のオスマの司教ディエゴが到着したとき、この討議がなされていた。司教は知識に富み聖性によって著名であり、慎重な生活態度をわが物としており、信仰の監視人でもあり、また義の偉大な友人であることを彼らはよく知っていた。彼らの到着の報に接すると即座に招待して最高の栄誉をもつって迎え、相談し彼の意見に賛同した。そして次に述べる彼の忠告が聖霊によって伝えられたものであることは疑いない。「貧しいキリストの福音を与えるためには不似合であるから、大仰な経費、馬・衣服・道具の身分不相応な華美なもの全てを放棄し、真実なる福音の貧しさを受け入れること、および議論や言葉だけでなく、行動し模範を示すことによってキリストの信仰を拡めること。こうすれば、異端者が徳と慈悲の偽りの像で惑わしていた霊魂を、聖性と信仰の正しい手本を示すことにより、真実の信仰へ呼び戻すことができるであろう」。

みなは彼の忠告を受け入れ、忠告に従って以上のことを実行に移すと誓った。

そして司教は先ず第一に言葉と行ないを合致させるために、携えて来た馬や道具およびそのほか食糧などを配下の者とともオスマへ送り、人びとに与えた忠告を実行に移した。しかし司祭の何人かを止め置いたが、その中に前に述べたようにオスマにおいて参事会副院長であった兄弟ドミニコもいた。彼はその時以来、副院長ではなく、兄弟ドミニコとよばれるようになった。この兄弟ドミニコこそは、ドミニコ会の父であり、最初の修道士である。

ドミニコは実際に神の力によって罪の腐敗から免れた。それだからドミニコは主の教えの番人であり、それゆえに栄光を受けるはずであった。真実主の番人であった。なぜなら主のぶどう畑を守るように上によって選ばれたのであるから。

こうして宣教のために来ていた人びとは、司教ディエゴの言葉ではなく行ないにより、真実のアブラハムの家畜にとって邪魔になる物を取り除くことがいかに必要かを教えられた。

そして各々世俗を放棄し、福音的勧告の貧しさを受け人れ、みなの長として仕事の指導者として司教ディエゴを戴き、徒歩で勇敢にキリストの信仰を言葉と行ないをもって宣教し始めた。これを異端者たちは嫉妬の日で眺め、宣教を激しく迫害し始めた。