14 霊の益となるよう隣人を救済したこと

 

ドミニコの愛徳は完成の域にあったので、隣人の救霊のため自分の命を犠牲にすることもいとわなかった。

あるとさ、邪教の裏切りの吐く噂によって欺かれていたある人に、教会の懐に戻るよう勧めていた。そのとき俗世の生活に必要な物が欠乏しているためにその人が不信の者どもの社会から離脱できぬということを知った。異端者たちは、他のルートからは得ることのできない食料を支配し分配していたのである。神の僕は皆の贖い主である御方を模倣して自分自身を売りに出し、その金で隣人を救済しようと決心した。もし贈物を多くお与えになる神が、その人びとを極端な貧困から救う他の手段を啓示されなかったとしたら、これは実現されていたに違いない。

これに良く似たあるばあいに、同じく身を売る決心をしたが、これはまだ祖国にいる時のことであった。ある婦人の弟がサラセン人の捕虜となり、彼女が嘆き悲しんだので、慈悲の霊に満らていたドミニコは心からこれをあわれみ、捕虜の救済のため自分自身を売りに出した。しかし主はそれをお許しにならなかった。つまり、義の極めて豊かな収穫を得るため、数え切れないほどの霊魂を改宗させるため、彼をとっておかれたのである。