22 兄弟ドミニコはモンフォール伯の死を夢に見る――最初の諸修道士の分散

 

トゥールーズ市の教会が彼らに贈与された次の年、トゥールーズ市民はモンフォール伯に敵対して蜂起した。兄弟ドミニコは彼の死を夢に見た。すなわら夢うつらのうちに、非常に高くて威風堂々とし、枝が拡がって葉の茂っている美しい樹を見たのである。これは象徴的ではあるが、意味の深いものであった。樹の枝には数え切れないほど多数の小鳥がとまっていたが、少しのち樹は地上に倒れ、小鳥の群は逃げ散ったのである。そのとき、神の霊に満ちた兄弟ドミニコは、勇敢な領主であり弱き者の保護者であるモンフォール伯の死がさし迫っていることを悟った。

そして聖霊へ援助を祈った後に諸修道士を周囲に集め、次のように述べた。彼らは極く少人数ではあるが、さまざまな地方に分散しなければならぬこと、また全修道士が再び同じ家に集まるという希望は捨てなければならないことである。蒔かれた種は、積み重ねられた種が腐っていく間に実を結ぶ、このことをドミニコは知っていたのである。しかし、なぜそうするのか、彼の至高なる考えを知らない修道士は、こういう方法で自分らを分散させるのを不思議に思った。しかし彼の意見に反対する者はひとりもいなかった。つまり神の僕ドミニコの聖性には疑いは抱かれず、今回のこの方法が神の唇以外のところから出たのではないかという疑問の影は払いのけられていたのである。

また修道士たちが大修道院長をひとり互選するようにドミニコは望んだ。院長の裁定はみなに対して強制力をもつものではあるが、兄弟ドミニコは自分が持っている大修道院長やその他のすべての修道士たちの言動を是正する権限を保留したのである。このようにしたのは神の霊に満たされて、神の言葉を宣教するために、サラセン人の地へ引き寵ろうと考えたからであった。このためある期間、ひげをのびるにまかせていた。

宗規にのっとり大修道院院長に兄弟マテオが任命された。彼は最初で最後の大修道院長であった。それはこの権威のある名をだれにも譲らなかったし、だれもこの名を嗣がなかつたからである。

それから全修道会を代表する者は、謙譲の印として総長と称されることを修道士たらは望んだ。この下に来る役職者は院長とよばれた。忠実で誠の管理者兄弟ドミニコは、霊魂の救済において豊かな実を結ぶ数多くの種を蒔くように、神の意志により諸修道士を分散した。ある人たちはスペインへ、他の人たちはパリに派遣された。そして何人かはボローニアに送られた。この人びとは貧困に苦しめられ、非常に切迫した生活を送りながら、救いの教えを拡めた。主のカは人数を増して彼らを援護し給うた。