33 光明に輝く顔――彼の模範の豊かさ

 

ドミニコの生活に兄られる徳性は純化されていたし、聖なる熱意が彼を動かしていたので、彼が栄誉と恩寵の器、素晴しい宝石のちりばめられた盃であることは明らかであった。慈悲とあわれみによって心が動くとき以外は、心の平静は確固たるものであった。そして心が喜びにあふれていたので顔は輝き、その慎み深い明みさのある外観と喜ばしげな顔は心の内の安らぎを示していた。彼の理性的判断によって、み摂理にかなっていると思ったことにおいて彼の信念は変わしず、挫けることもなかったので、熟考したのち口にした言葉を修正しなければならなかったことは、一度としてなかった。

前に述べたように彼の誇り高い良心の証である顔は、豊かな喜びの光に明るかった。しかしその明るさは地上のものではなかった。

この喜びにあふれた明るさは、みなの親愛感をたやすく得、彼を見た人の心には自らすぐに愛情がわいた。ドミニコはどこに居ようと――伴侶と旅に出ようと、"宿で主人といようと、その他の人といっしょにいようと、貴人・領主・高位聖職者といっしょにいようと――、彼の唇からは教化の言葉があふれ出、手本を惜しみなく示した。この手本で聞く人びとをキリストの愛に導き、この現世を軽く見ることへと動かしていったのである。

どこにおいても、福音の使徒としての言葉と行ないをもって身を処した。昼には、修道士や伴侶にとって、彼ほど寛容で楽しい者はいなかった。夜は徹夜で祈り、だれひとり彼より勤勉なものはなかった。午後には涙を留め、朝には暮びを。神が昼には慈しみを、夜には歌を送られた。そのことを心得ていたので、彼は昼間を伴侶たちに捧げ夜は神に捧げた。たびたび泣いて、その涙は日々の糧であった。昼にはミサで日々の犠牲を捧げる時に、夜にはみなから離れ、苦しい徹夜の行に身を捧げている時に。

ドミニコは祈って夜を明かすのを習慣としていた。それゆえに決まった寝床を持っていたことはほとんどなかった。肉の弱さの限度内で忍耐強く祈り、一睡もせずに夜を過ごすこともあった。疲れ果て、激しい睡魔におそわれて意識を失うと、祭壇か他の物に頭を寄せ、族長のヤコブのように石の上に横になり少しの間休んだ。その後でまた霊魂の見張りと激しい祈りに戻ったのである。