36 平和の遺書――光栄の生涯

 

ドミニコは主が彼に与え給うた息子たらを、財産もない孤児として残していったと思われぬよう――もちろん彼らは父とその慰めを失うことになる――信仰における偉大な農場主であり、キリストを愛する人びとに神が約束された王国の共同相続人である貧しき者キリストに模して、遺書を作成した。この遺書は地上の財産についてではなく、天上の宝についてのものである。物質的なものについてではなく、天上での生命についてのものである。すなわら次のごとく述べることによって、所持する全てのものを遺した。「愛する兄弟たらよ。これらの事々は、お前たちが相続の権利により所有するよう、息子たちに与えるごとく、お前たちに遺すものである。愛徳を持て。謙譲を守れ。自発的清貧を抱け」。

ああ、平和の遺書。軽蔑の念をもって扱われたり、書き加えたりせぬ永遠の記憶に価する遺書。遺言者の死によってではなく、彼が永遠の生命を得ることにより署名された遺書。これをさげすまぬ人に幸あれ。愛徳の腐敗せぬ衣、謙譲に富む地所、清貧の価値ある宝、そのように光栄ある父より遺された遺品を軽蔑したり、粗略に扱わぬ人に幸あれ。

聖なる人ドミニコがこれらの徳を所有していたことを、彼が地上で肉体をもって生きている間に知り合った人びとは疑うことができない。

彼が死の時に、神に大いなる信頼を抱いていたことは当然のことであり、これによって、彼の思い出が最大の栄誉に値することは理由付けらる。というのは、修道士たちが慈父の死を前に喚き悲しんでいるとドミニコは、生前より死後において彼らにさらに多く尽くすことになろから、死を嘆き悲しむのは良くないと説いたのである。事実、彼は自分の救霊に関しては確信を持っており、主の家に入るのに信頼があつければあついほど、救霊に役立つことを疑わず、そのために歩き回ったのである。

至高の父は、地上の富で汚されたまま、清貧の誓願を立てた修道会に来てその輝きを暗くし汚そうと試みるあの者に対し、神と彼自身ののろいを恐しくも炸裂させて、この修道会において俗世の財産を保持することを、厳しいが上にも厳しく禁じた。

天軍の主のぶどう畑において、忠実に働き、疲れ果てた長い労働のあと、彼は主の喜びに分け入り、日当デナリオを受け取り、キリスト紀元一二二一年、光栄のうちに生命を使い果した。

彼の葬儀には、当時のロンバルディーの教皇使節であり後に教皇グレゴリオとなった尊敬すべきオスティアの司教が出席し、尊い遺体を最大の敬虔さをもって墓に収めた。彼はドミニコの聖なる生活を知っており、生前には霊的慈しみの強いきずなによって結ばれていた。

彼は自ら創立したボローニャにある説教者兄弟会の聖ニコラス教会に葬られた。