パレンシアでの学生生活

 

その後、勉学に従事し、教養学科の知職を得るようにとパレンシアに送られた。当時そこには多数の学生と有能な博士たちが集まっていて、広く学問の花が開いていた。

徳に傾いていた子ドミニコは怠惰から逃れ、高潔にもその学問に身を捧げて励んだ。青年時代特有の軽薄さから身を遠ざけ、最も味わいの深い学問に専念したのである。

そして自分は霊が完全に知識を消化吸収するように、ぶどう酒を断った。それから十年間、胃の病のため少量のぶどう酒をとることをオスマの司教ディエゴに命ぜられるまで、禁酒を続けた。しかしその時でも、多量の水でぶどう酒を割ったため、だれも彼の盃からは飲もうとはしなかったほどであった。

こうして、同時代の人に較べて遥かに少ない時間で多くの学問を身につけることになった。

これらの学問において資格を得ると、この種の学問や哲学の初歩を学んでいることによって、高度の教養に費やすべき時間を浪費ぜぬよう、神学に全てを打ち込み、神の言葉を熱烈にむさぼり始めた。その蜜のような甘さを楽しみ、後になり極めて豊かに拡めるべことを貪欲に自分のものとした。

四年間を健全にずごし最高の学問に心身を捧げ、また知識に対すみ欲望が強く、勤勉でもあったので、毎夜聖書の学問に打ち込んで徹夜をするほどであった。彼は大いなる愛をもって美しいラッケルの貞潔な抱擁を望んだが、その偉大な愛ゆえに日々は短く感じられ、そして望みは達せられた。

彼自信の評価によれば、あまり苦労をしないで早々と成果を得た。なぜなら、大地が天の露を吸収するごとく、注意深く心の耳で神の言葉の種子を受け取ったので、聖なる観想と愛という熟した実ばかりでなく、善行という極めて豊かな収穫をも得たのである。軟い教理という乳を消化するばかりでなく、さらに固い糧の養分を自由に摂取し、むずかしくもつれた問題をも解決し神秘を見通すよう、知識の泉は広い心の上に理解力を惜しげもなく与えた。そして人間の能力に欠けるものは彼においては神の恩寵が豊かに補った。いずれにせよ、理屈を述べる時の機知より聖い生活態度が、そして図書よりも霊的言葉の実践が先行した。だから彼の話と説教は常に、人間の知識に発する言葉から成るものではなく、霊と徳を表わすことによって生ずるものであった。