オスマの司教座聖堂参事会副院長――彼の霊魂の描写

 

ドミニコを飾づていた楽しい心の中の春は、徳の開花いた春であっからか、聖い香りがどこかしこに拡がり始めた。すべての地においで彼の謙虚さが語られていたので、それはオスマの司教ディエゴの耳にも達した。司教はさっそく事情を調査して真実が判明すると、すぐに彼を呼び寄せて教区の聖堂参事会員に取り立てた。

彼の聖性は驚くほど高いものであったから、参事会員たちは称賛し、彼の意志にに反してではあったが、司教座聖堂参事会副院良に選出した。燭台の上に置かれた燈火、山の上に建てられた町のような彼は、みなの生活のかがみ、参事会員の手本として明るく快よい聖性を示したのである。

祈りにおいてはゆるみなく、愛徳においては優れ、あわれみにおいては熱し、謙虚なることによっては配下の者にさえ従順であった。神は、罪人や貧窮し悲嘆にくれる者のために泣く霊的恩寵を彼にたまわった。挫折した霊を心配するあまりに心は燃え立ち、天のものなる栄光を切望し、たびたび祈りに夜を過ごした。そして、何回となく祈りながら心の叫びをもらし耐えることができず、遠くからもすすり泣きが聞こえるほどであつた。そして次のような特別な願いを神の慈悲の耳にささやいた。「われわれの救霊のために身を捧げられたあの御方を手本とし、隣人の救霊を成し遂げるに最も役立つ愛徳を心に起こさせ給え」。このように祈りながらの「教父の講話」という書籍を読み、それから聖性への道を探しながら理性に照して読み返し、ついに最高の完徳に達した。この書籍は、心の純粋さや悪習およびすべての徳の完成を扱っているので、これを繰り返し読むことによって、なみなみならぬ心の聖さと観想の秘密、すべての霊的徳へと導かれたのである。