What is Cat-o'-nine tail? |
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Cat-o'-nine tailキャット・オブ・ナイン・テイル ”九尾の猫鞭 ”主にアジア圏で使用された特殊な形状をした鞭で、鞭の先端が幾重にも分かれている事からこの名が付けられた。名前こそナイン・テイルだが、実際には必ず9本という事はなく、2〜13本までの尾で構成されていた。長さ60〜80cm、重さ0.3〜0.5kg程の武器である。 武器としてはアジア方面に限られるが、刑罰用途としては広く世界に分布しているようで、西洋でも拷問用として採用されていた。「西洋拷問刑罰史」によれば、取っ手は木または鯨骨製で、長さはおよそ2フィートばかり、九つの尾も同じ位の長さで、それぞれの尾は普通の鞭紐の太さの二倍、もしくは三倍くらいあり、固いこぶが六つづつ付いていたという。 近代までイギリスの陸海軍で鞭刑用に使われたが、1881年の陸軍条例で軍の刑務所に収容された犯罪者だけに限られてしまったという。この事からも分かる通り、これは即死させるためのものではなく「殺さず生かさず」という目的の為の道具であり、その点まさに鞭なのである。 さて、分かれた先端は必ず9本とは限らないと前述したが、それでは何故9本という名が付いているのか。それは恐らく「九尾の狐」の伝承によるものであろう。ちなみにキャット・オブ・ナイン・テイルとは無論西洋名である。西洋では猫には魔力があると信じられている。狐では無く猫なのもそれと無関係ではあるまい。魔女の傍らに必ず猫もいるのもその為だ。なお、「catting」で実は九尾の鞭で打つという意味がある。 この狐、尾は九本に分かれており、顔は白く、その体を覆う体毛は金色に輝いていたという。狐であるにも関わらず空を飛ぶ事が出来、九本の尾を地面に打ち付け飛び上がる。特技は美女に化けて男を誑かすという、こちらは狐らしいものであった。『山海経(せんがいきょう)』という、中国最古の地理書にその記述が残されている。それによれば、「青丘の山に住み、声は赤子の如し。よく人肉を喰う。」とされる。すなわち九尾の狐とは日本で言う妖怪の事である。 高井伴寛が1805年に記した「絵本三国妖婦伝」にはこの狐の足跡が詳しく述べられており、最初に古代中国の殷の時代に現れ、皇帝紂王(ちゅうおう)の妃、姐妃(だっき)に憑き、贅の限りを尽くす「酒池肉林」や罪無き人民に火包火各の刑、たい盆の刑等の残虐刑を施行させたと言われる。後に正体を暴かれた九尾の狐は、次にインドに逃れ、太子の后、華陽婦人に化けて国を滅ぼそうとするが、薬草によって正体を暴かれ、再び中国へと戻ってくる。さらに次には遣唐使の船に忍び込み、いよいよ日本へとやって来る。これこそが「白面金毛九尾の狐」である。 狐はそこで美少女に化け、北面の武士、板部行綱に拾われる。名は藻(みすず)と名付けられた。この少女、和歌の才能を示したために鳥羽天皇の寵愛を受けることに成功する。その頃から美しさ故に玉藻前と呼ばれるようになる。そう、これが「たまも」である。狐の影響を受け、天皇はやがて重い病に冒される。当時すべての病は悪霊が原因とされていた為、原因解明のために高名な陰陽師である安倍泰親を召致、ついに玉藻の正体を突き止める。加茂大明神の加護の元、安倍泰親は祈祷を行い狐を追いつめ、最後は上総介・三浦之介に退治され、殺生石といわれる石となった。 栃木県那須野にあるその場所は、後に殺生石山と呼ばれるようになり、現在でも行事が行われている。また、一連の物語は能楽「殺生石」として生き続けている。何故これ程までにするかというと、陰陽道では九という数字は最高の数字とされている為で、即ち九尾の狐は最大の妖力を持った妖怪という訳なのである。
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