Wizardryに関する意見群

BCFはWIZなのか?
 従来のWizと一緒にされては困ります。今までのシナリオは単なる戦闘ゲームでしたが、BCFは違います。決定的なのがBCFは探索型RPGだという点です。戦闘が目的ではないのです。派手なチャンバラ劇を期待するのであれば、他にいくらでも別のゲームがありましょう。 今までのWizはD&Dのシステムの、戦闘に関するシステムだけを抽出して形にしたものであると言えるのに対し、BCFはAdvanced D&Dと言えます。見知らぬ危険な場所を探索する際に、もしも貴方が冒険者の立場だったら好き好んで敵と戦闘をするでしょうか? しませんね、それどころか極力戦闘という事態を避けるよう努力する筈です。『戦闘を避けるのがRPGだなんて!』と貴方は驚かれるかもしれませんが、それは貴方が真に冒険者の立場に立ってプレイが出来ていないからです。BCFは等身大のRPGなのです。

死者蘇生に疑問を持ち、リセット技を封印
 リセットとは元来ゲーム内設定にはないものだったはずだ。 それが「マニアモード」だ の「ヘヴィモード」だのといった形でリセットした際のリスクを設定できるようにした 段階である意味リセットは公認の設定と化したわけだ。通常、リセットなどしないのが 常道であろう。リセットをしてまでキャラに拘るほうがマニアだと言える。それさえも が逆転してしまっているのは、ウィザードリィというゲームのプレイヤーの認識の甘さ の証明だ。無敵がデフォルトのRPGはウィザードリィくらいだろう。無敵プレイのシ ューティングは面白いだろうか?最強になったボンバーマンは面白かっただろうか?ダ メージを受けない格闘アクションがあったら楽しめるだろうか?死があるからこその生 であり、そこから生まれるゲームの娯楽的価値は計り知れないだろう。それを拒否した ところにある面白さはもはや無尽蔵な欲を満たすものでしかない。結果的事実として、 外伝Wという作品はとことんまでコレクションに拘ったものだった。アイテム、称号、 モンスター、呪文・・・・「おまえらはこういうことがしたかったのだろう」という制 作者の意図が見え隠れする。しかし評判はすこぶる悪かった。プレイヤーは自らのプレ イスタイルが招いた結果だという責任を棚に上げ(というかそうした因果関係について 考察したことは無いだろう)、一方的にゲームを、制作者を非難した。次作にはそうし たプレイヤーの意向が反映されているだろう。愚かなことだといわざるを得ない。悪循 環きわまりない。

石化というのは体だけが石化するのか、一部だけ石化するのか、それとも装備品も込みで石化するのか
 「全身」でなければますます理解に苦しむ。 例えば爪のみ石化、という状態を考えよう。 彼は動けない状態だろうか?それで動けないとすればよほど比重の大きい石になったの だろう。石化=動けない状態である以上、全身が石化しているという解釈が普通ではな いかと思う。では、それは死ではないのか?確かに石は無機質である。生体では無いだ ろう。しかし化石から塩基配列を分析して云々という話も実現したわけではないがもは や不可能ではない段階に来ていると考えられることなどから、石に何らかの生体の情報 があれば生体への錬金術的操作は出来得ると考えられる。とすれば、石化した冒険者を 生体に戻すことは生き返ると言うよりは元の状態に戻す、再製するという意味合いの方が強く感じられよう。 以上から、マディとは全ての細胞の状態をDNAレヴェルで 完治させる魔法である、と考えられる。とはいえこれは強引な推論に過ぎない。真実は わからない。いや、ただひとつ正しいことがある。石という状態を理解すれば死や灰を も理解出来るだろうということだ。うむ、うまいパラドクスだ。つまり、理解しようが 無い、と(汗)。現実における「死」なんて法的状態だもんな。ゲーム世界の法律的背 景なんて考えるか、普通?現実的解釈なんて不可能なんだって(激汗)

ズルいのは許せない。死者蘇生もズルに思える、という意見について
 与えられたゲームの設定に対してはそれをどう認識しようとプレイヤーの自由であるとは思う。が、そこに疑問を抱いたとき、プレイヤーは設定内設定を課すこともできよう。 村正は一本しかない、として複数の存在を拒否する。馬小屋という存在のおかしさに気 がつきそこでの寝泊まりを拒否する。転職を制限する。10代が酒場に入り浸る光景に 疑問を覚え、全員の年齢の下限を20歳にする。レヴェルの上限を設定する。等々。 他にもあるだろうが、挙げればきりがない。それほどウィザードリィの自由度は高い ということができるだろう。彼はそのうち冒険者を無限に作成出来るということにさえ ズルさを感じるに至るのではないか?それほど死に対する認識、いや生に対する疑問で あろう、が膨張しているのだと推察する。それは単なるズルという枠を越えた壮大な疑 問だ。現実の死というものを見据えていないわけではないだろうが、それに拘泥してい るとは思えない。

MADI『マディ(HP、及び状態全回復魔法)』が無い
 前作までのシステムでは、例え敵からどれほどのダメージを受けようと 呪文一発で全快し、おまけに石化からも回復可能。これは 戦闘時の緊張感の喪失の原因となっている。 従来のシナリオにおける、 ゲーム開始直後の戦闘と、後半の戦闘との緊張感を比較してみる。すると、 『むらまさ』等の強力すぎるアイテムはどんな敵でも一撃で倒してしまう 為、戦闘時のゲームバランスの著しい破壊をもたらし、『マディ』が9回も唱えられる 状況下では、敵のどのような攻撃もほとんど意味をなさなくなり、その上 あらゆるレッサーコンディションをも同時に回復してしまう為、強力 この上ないものになってしまっている事に気づく。この他様々な要素によって いかに後半、パーティーが強力になるにつれて、緊張感の欠片も無い 戦闘になってしまっていたかが分かる。その上 リセット技というものが広まっていて、一体こんな状況下でどうして 緊張感が高い云々を口にする事が出来よう。 忍者系にしろ、クリティカルされる前に全体攻撃呪文で一瞬だ。 首を刎ねられてもどうせリセットなのでまったく意味はない。つまり、そこにモンスターの個性は既になく、あるのは戦闘後に良いアイテムを落とす可能性がどれだけあるか、ただその一点のみのデータ体にしか過ぎなくされてしまっているのである。

モンスターの出現場所について
 従来までのWizでは、ハッキリ言ってしまえばそれはもういい加減極まるものでした。 本来人の目に触れる事など殆ど無いドラゴンの類が毎回のように、それも群れを成して(!)現れ、暑寒の区別もお世辞にも付いていたとは言いがたく、ジャイアントはその辺をうろつき、何故このような場所にヒューマンタイプのモンスターが・・・と思える事も多々ありました。 ミノタウロス? フランケンシュタイン? 果てはメデゥーサまで! 思わず笑ってしまうかもしれませんが、これが実態です。 そしてその全てが『とある高位の魔術師が召還した』『瘴気に犯された』などという子供だましの理由によって言い包められていたのが現状です。 しかるにこのようなものは百歩譲ってRPGであるとは許せても、決してファンタジーなどでは無いのであります。 何故このような事になっているのかと言うと、それは客受けするからです。 つまりは派手なのです。 ドラゴンがバンバン出てくればそりゃ派手なゲームになるでしょう、いろいろな種類のジャイアントを所構わず出せばそれはもう賑やかでしょう、ヒューマンタイプがどのような人界外の場所にでも現れてくれればきっと華やかになるでしょう。 しかしそんなものは所詮は子供を喜ばせるだけのものです。 Bane of the Cosmic Forgeをプレイしていれば、自然とそのことにも気が付くことが出来るようになります。 群れをなすドラゴンのアホらしさを実感出来るでしょう。

パワーレベルについて
 これの争点って結局回復系呪文のみですよね。 攻撃系その他はパワーレベル制が機能しているわけで。 これはもう手間の問題だと思っていましたよ。
完全に回復するまでの手間がかかるのは問題だ、と。 以前この話題になったときも私自身そう言ってましたし。

で、今回泉周辺での経験値稼ぎとかを省いてやたらと ショートカットしてプレイしてみたら、気付いたんですな、これが。
宿がなくなったかわりとして、どこででも休むことができるようになったということ、 このことが回復という行動(そう、「行動」)に画期的な変化をもたらしている、と。
マディとマロールの回数がそのままそのパーティの強さを決定する 従来のシステムにおいては回復は「作業」でしかない。

が、ヒールウーンズ&パワーレベル制と「休む」の同居は単調だった回復作業に戦略性をもたらしている。
どこででも休むことは出来るが、その休むことに常に危険性が伴っていること。 呪文体系の刷新によって回復呪文の使用に戦略性が加味されたこと。
そうしたことが、ひとつひとつの行動に緻密な意味付けを要求してくる。 当然、それまで買う物ではなく売る物でしかなかった回復系アイテムが
真にその存在意義を持つに至る。さらに、莫大な金銭を得ることが困難な このシナリオにおいてはそれらの購入すら戦略的行為となる。
宿はなくとも泉があるから結局は同じではないか、というのならば 森や寺院のエリアに飛ばされてからの探索をどう説明するのか。
(無論、前提として、そのエリアに泉がないことを未知のことする。死者の殿堂で 十分に戦力を上げてからそのエリアに進む、などという既知者の意見はうけない。)
泉の無い最終エリアではとりわけひとつひとつの行動にかなりの慎重さを要する。 なぜならばひとつひとつの行動が戦略性を帯びているからだ。
軽率な行動がその後の死に直結することも稀ではない。

また、既存の平板な宿というシステムを脱却した回復システムの一部である 散在する泉のその戦略性の天秤をつり合わせるが如き配置にも気付くべきである。
パワーレベルもまたこうした戦略の緻密さの部分を支えるもののひとつである。

勿論、これまでのWizの面白さを否定するつもりはない。 これはこれで面白いのは間違いない。
だが、エモ宅だかどこだかで「Wizはメイジがマハリトを覚えてから プリーストがマディを覚えるまでだ」と仰有った方がいたように、
無尽蔵なシステムの中にも緊張感の持続を求める向きがあることも事実だ。
彼の方はその求める緊張感のみならず戦略的緻密さをも楽しむことができる BCFをそれと知って楽しんでらっしゃるのだろうか。

この手のゲームは回復手段が手軽であればあるほど楽だ。
侍よりロードというのは、攻撃力が無意味なまでに高い侍より、攻撃力必要十分 にして守備力最高、且つ回復能力をももつロードだというもっともな話だ。
侍が強すぎるとは余り聞かないが、ロードが強すぎるとはよく聞く(偏見?)。 回復できるということはそれほど有利だということだ。
「女神転生if...」では回復系魔法のMP消費量が前二作から大幅に上方修正された。 全体的な上方修正に伴うものもであるが、回復系は増加が著しい。
これも回復系の有利さを考慮してのものであろう。 が、回復の泉や保健室など、他の回復手段が依然便利なので、その分攻撃力を格段に弱め、
何とかバランスを保っているようだ。このように、このバランスをとるのは一朝一夕にはいかない。
こうしたなかでもBCFはひとつの完成形をみていると言えるのではないか。

「死」と「灰」の違いについて
 うーん、ゲームの仕様とか何とか言っては身も蓋も無いんで(汗)無い知恵 絞ってでっち上げますと・・・

まず、いずれの状態も現実世界においては大きな意味で「死んでいる」状態に間違いないでしょう。
これらの差は、あっちの世界において蘇生にどれだけの手間が掛かるかですから。 最初に「死」。これは陥る経緯から考えるに、そこら辺に掃いて捨てる程ある?
一般的な死体というセンで間違いはないと思います <イイカゲン  で、続いては「灰」。この状態になる原因としては

1.蘇生失敗1回目
2.高圧電流に引っかかる。
3.アイテムのSP
といったところです。

確かに「死」より状態は悪そうですが、某氏の言う通り、火炎呪文で派手にイッた死体と大差はなさそうです。
では何が違うのか? と探ってみると面白い事実を発見しました。 普通、我々日本人や仏教徒は死んだら火葬にして貰います。
これらは「人は死 ぬと魂は転生し、死体は抜け殻になる」という輪廻転生の思想によるものだそ うです。

しかし、伝統的なキリスト教徒は一般的に土葬です。これは神による 最後の審判において、すべての死者は再びよみがえる、
とあるので、死体は出 来るだけそのまま保存しようとするためだそうです。そのため、彼らにとって 火葬にすることは死体損壊同様で弔うことにはならず、
また異端者に対する裁 きに火あぶりが用いられ、死んでいても墓を暴き焼き捨てる行為につながるの だとか。

これから推測するに「灰」というのは、神の裁きを受ける資格を失っている、 キリスト教的に「タダの死体」より一ランク下の汚された死体である、
と 解釈するのはいかがでしょう?

1は、まさに火葬された死体、みたいな状態ですし、2はショック死した後、更 に電流が流れて「死体から灰化した」状態と解釈することが可能です。
火炎攻 撃で焼けた死体との差は、焼かれたの生前が死後か、あるいは火あぶり刑の様 に「貶める意図」が存在したか否か、で区別できると思います。
(実際、キリスト教が火事で死んだ人間を弔わない、という事は無い様なので) #ついでに、この罠の英語名はELECTRIC BOLT 魔法的な罠っぽいんですが・・・
3については善、悪の水晶など宗教臭い物がほとんどなので、この論で説明可 能であると思います。(罰、あるいは呪いとして死体を汚す)
ま、かなり無茶にでっち上げましたが、火葬が一般的な我々と土葬が一般的な キリスト教徒とは「死体を灰にする」事に対する感じ方が違うという事が、
わざ わざ「灰」というステータスが存在する理由ではないでしょうか?

BCFのシステム面について
 Wizは戦闘の緊張感が他のゲームとは比べ物にならないと盲信する前に、本当に そうなのかを検討することはWizardry6をプレイする上で非常に重要な 意味を持ちます。 Wizardry6ではバランスを破壊するような凶悪なアイテムは存在せず、 敵の攻撃におけるプレッシャーは後半も脈々として生き続けています。 大きなダメージを受ければ、その受けた分だけ回復も容易なものではなくなり、 石化を受けたものならば、大変貴重な生命力のパラメーターを1つ失う ことになり(生命力はアイテム等で上昇させるのが非常に困難)、敵を攻撃 するための最強の武器の強さもバランスよく調整されています。 この 事は呪文の存在価値を高めます。

 例えばシナリオ1では、ティルトウェイトという凶悪な全体攻撃(ほぼ全滅させる) 呪文が存在していましたが、この呪文ですら、敵が多すぎて面倒なときにしか使わなくても 済みました。それほどまでに物理攻撃と魔法攻撃とのバランスが悪いのです。

 一方Wizardry6では呪文を抜きにして敵を殲滅させることは非常に困難 なものになっています。 つまり、生き残る為に呪文を使わざるを得ない 状況下を、その絶妙なバランスが生み出してくれている訳です。

 さらにこの呪文体系にパワーレベルの概念を取り入れた事により、いわゆる雑魚 相手には手加減を、強敵相手には全力で、といった事が出来るようになっています。 従来ではこんな当たり前の 事が出来ませんでした。 ただ、Wizardry6では呪文に力を入れた反面、 物理攻撃よりもかなり強力な威力を誇ってしまって、バランスが悪いと 思われる部分があるかも知れません。 しかし、その点もパワーレベルという 概念によってある程度解決されています。 とはいえ、本来戦士一人の数倍の戦闘力を持つ者がウィザードで あるのでその辺も考慮しなければなりませんが、すなわち強力な呪文になるにつれて MPの消費が著しく上昇するため、その使用にはかなりのリスクを負うと いう訳です。 最高レベルの呪文には96〜120という凄まじいMPを要する ため、そうポンポンと使用する訳にはいかないのです。 この事は Wizardry6に『宿屋』の類が存在しないという事とも密接に関係しています。

 従来のシナリオではこの『宿屋』という、一発で全てのHP・MPを回復 してしまうという凶悪な場所があり、おまけにマロールという瞬間移動を 可能にする最悪の呪文(この呪文がある限りWiz1〜3が探索型RPGであるとは間違っても言うことは出来ない。アレは単なるキャラ育成ゲームである)まで存在し、この結果、強力な魔法をポンポンと唱えられる 事態を引き起こしてしまいました。 Wizardry6における唯一の回復拠点に『湧き水』 がありますが、限られた僻地に数点存在しているのみで、おまけに 瞬間移動系の呪文はWizardry6には存在しませんので徒歩でそこまでいかなくては ならず非常に面倒です。 当然到達するまでには戦闘を数回要します。

 さらなる要素として、Wizardry6には呪文を唱える際に 際立ったリスクがあります。 それこそが『失敗』や『逆流』です。  従来のシナリオでは呪文詠唱は必ず成功していましたが、このWizardry6においては その概念は通用しません。 『逆流』に至っては文字通り自分のパーティーに そのまま帰ってくるので、強力な呪文が逆流した際には全滅が見えてきます。  しかもこの『失敗』や『逆流』は強力な呪文になればなるほど発生する確率が 高くなるために、製作者側のバランス面での配慮の現れとみていいでしょう。  発生術のスキルがマックスであっても、成功率が100%になることはない。  加えてSFC版ではHP・MP共に上限が999と定められています。 このことも バランス維持の上で有効に機能しています。 これにより、『ライフスティール』の 存在価値も失われる事はないのです。


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