プロフイ−ル
1966年 〜
写真に興味を持ち始めます。
1968年 〜
人を感動させる写真を撮る事に対して色々と試みましたが、どうも思ったようにいかず、しばらく写
真から遠ざかります。
1980年 〜
自分の子供の写真を撮り始めます。
子供の写真と言う大義名分のもと10年間で100000枚ほどの写真を撮りました。
何故か挫折はしませんでした、しかし写真代が大変でした。(このころの私は学校の行事とか
クラブ活動などでは常にカメラを片手に持っていたので私の職業はカメラマンだと子供達
の間ではもつぱら評判でした、私は元来写真家希望だったので、このことは誇らしげに思
ったが、内容の伴わないものだったと思います。)
1990年 〜
子供の一瞬一瞬の表情を写真を撮りつづけましたが、子供達も自分の意志を持つようになり
被写体が動き始め、意志を持つ動きは止めようが有りませんでした。
ここで学んだ事は、良い写真を撮るのは素質ではなく、愛情を込めて数多く写真を写す事だ
と、その数多くの写真の中から、普段見れない美しい表情を探せる時があると言う事です。
ビデオカメラでもよく撮影しましたが、私はスチ−ル写真での一瞬の表情を切り取るのが好き
でした、カメラにのめり込む、その理由はここにあったのかも知れません。
1994年 〜
ついに、大義名分のある子供写真も主役の子供たちから相手にされなくなり、方向転換を
せざるおえなります。
現在意志を持って逃げていかない風景写真に転向中。
撮影手法は数多く撮影する事、子供の写真を撮ったように数多く撮影してその中から一瞬
の表情を選択することにしました。
おかげさまで写真代は依然と変わらず、気のせいか以前よりひどくなった気がします。
− リバ−サルはお金がかかる〜 −
2000年 〜
只今風景写真に埋没中!!!
北海道の旭川に移り住んで25年、美瑛と言う所が近くになかったなら、風景写真にこんな
にのめり込まなかったろう、ましてホ−ムペ−ジなど開くなどと考えられませんでした。
良かったか、悪かったかは自分の人生を振り返る年齢になってからじっくり考えるとして、
今は数多くの写真をいかに撮るかです、写真は誰でも気軽に始めれますが、この道を極めれる
のはごくわずかでしよう、すそ野は富士山より広く日本中に広がっています。
私もこの道を極められるとは思われませんが、私が10年近くをかけて続けてきたこの記録で、北
海道の輝く大地を少しでも理解してもらえばと考えています。
そして写真とは、カメラがあれば始められると言うことを。
ホ−ムペ−ジ開設はこの楽しみながら写真を撮っている人たちへのエ−ルを送る一つの
手段なのかもしれません。
現 在 〜
写真機もフイルムからデイジタルに変わり、風景写真に限らず撮影の方法も様変わりしました
、フイルム代・現像代はかかりませんが初期のデジタルカメラは画像が荒いのとメリハリを
付けにくかったので苦労させられた記憶にあります、仕方がないのでしばらくリバ−サルと
平行して使用していました。
しかし最近のデイジタルカメラは性能が各段に進歩し、フイルムに肉薄しています、私も現在
は完全にデイジタルカメラに依存しています、当時を考えると考えられない事です。
紆余曲折ありながら風景写真を撮り続けてきて、人生の晩年に至り、まだまだアップした
い写真があると言うことは、リンクをどうするかの頭の体操をしながら考え・行動すると言うこと
で、何と健康的な生き方何だろうと感じているこの頃です。