09.3月、国定忠治のお墓へお参り

昔は侠客というジャンルの、言うなれば義賊みたいな人がおりました。清水の次郎長などは、その
代表的な人物で乱暴なこともするが、きっぷの良さ、誠実さ、人間的な暖かさなどを備えた大人物
として、今でも語り継がれています。「かたぎの衆には迷惑はかけるな!」などとバカな子分を叱っ
たりして、正しい人なんだな〜などと実態はよくわからないのですが、根強い人気があります。
山梨県だと、「竹居のドモ安」や、その子分で清水の次郎長のライバル、「黒駒の勝蔵」がいます。
しかし、知名度では次郎長一家に次ぐのは、何と言っても国定忠治でしょう。昔は、「赤城の子守唄」
はオジサンの持ち歌の定番で、忘年会では座布団を背負って「赤城の山も今宵かぎりよ〜オ」などと
唸っていたもんです。歌がヒットしたおかげで全国区になったのでしょうか、今日は忠治のお墓へ行き
たいと思います。
09.3月8日、韮崎から中央本線の列車に乗り、小淵沢で小海線に乗り換えます。陸路でも、甲府
盆地から高崎や伊勢崎に行くには、佐久〜下仁田ルートか、軽井沢〜横川経由が早いです。
     
   小淵沢で待機中の小諸行き                 雪が残るJR最高地点

     
     野辺山〜信濃川上                    佐久広瀬近くの千曲川

小海線の列車はキハ110の2連で、8時前の列車だから東京からでも間に合うのですが、今日は
乗客が少なく、清里のスキー場に行くらしい人も見られません。スキーの衰退はかなりのものです。
また、清里までは富士山の展望がいいのですが、樹木が生長してきてロクに見れなくなりました。
およそ小海線は野辺山〜信濃川上間辺りが最も乗客が少ないと思いますが、近年はバスツアーに
その区間の列車が組み込まれたりして、それに遭遇すると厳しい乗車を余儀なくされます(地獄)。
千曲川は上流部でもかなり汚れています。

     
          浅間山                           浅間山

     
      ハイブリッド こうみ                 しなの鉄道車窓の浅間山

     
  軽井沢駅に停車中の急行「信州」           軽井沢駅から横川駅行きJRバス

小海を過ぎると、中高生やお年寄りなどが、どんどん乗ってきて、中込からは車掌さんまで乗って
きました。車窓の楽しみは何といっても浅間山です。岩村田や佐久平では多量の下車があり、小諸
まで乗り通した人は少なかったようです。しなの鉄道の軽井沢行きで終点下車。169系を新車の色
に戻した「急行 信州」も停車中で、人気を集めていました。ここからバスで横川へ。

     
  碓氷バイパスから見える妙義山                    横川到着

     
      碓氷鉄道文化村へ                     スゴイ鉄道模型


      非常に精密で凝った造りに感心    

バスは15人程度の乗客を乗せて、以前は有料だった碓氷バイパスを下って行きます。妙義山が見
たい場合は、左側の座席に座るとよいでしょう。25分程度で無事横川駅到着。このまま先に進んで
もいいのですが、折角だから電車を一本遅らせて、碓氷鉄道文化村を見学。ここは二度目ですが、
動いている鉄道模型ジオラマを見たのは初めてで、精巧さに驚きました。ED42が押す列車がめが
ね橋を進む情景はスピードが速すぎるのが難点でしたが、あまりの見事さに写真を写すのを忘れた
ほどです。

     
   関門のステンレスEFとEF58              非常に狭い、EF58の運転台

屋外の機関車を見て行きます。EF66や64はないですが、運転台に入れるものが多いので、おじゃ
ましてみます。ドアの小ささに驚きます。鉄道車両ですから当然内側に開きます。デカイ図体ですが
運転台はどれも狭くて圧迫感があります。また、電車に付いているような灰皿も標準装備です。EF
58の車内は木造の部分が非常に多くて意外でした。

     
        初期型のD51                   大迫力のナメクジドーム

そして初期型のナメクジD51がとどめを刺します。普通のD51とは全く違う車両に見えるほどで、
全国の保存車両でも、大阪の弁天町で見たくらいのものです。やはりコレを見ると他のD51はチャ
チイ感じがしてしまいます。

       
      横川駅とおぎのや                        横川駅のソバ

電車の時間も迫ってきたので、駅に移動。駅ソバを食べましたが、おいしいです。駅前には、「おぎ
のや」の駅前食堂もあるので、寒いときはそちらで食べたほうがお利口さんかも。

     
     お宝ものの湘南電車                     車窓からの浅間山

     
      車窓からの妙義山                     両毛線で国定到着

横川からは貴重な湘南カラーの115系に乗り、高崎で両毛線に乗り換えました。両毛線の電車は
飯田線の車両をロングシートにしたようなヤツでした。それにしても群馬県は公営ギャンブルが異常
に盛んなようで、高崎競馬、前橋競輪、桐生競艇、伊勢崎オートと4拍子揃っています。他に4つが
揃っているような県は、千葉と福岡くらいではないでしょうか。東京だってオートレースなどありません。
さすがに国定忠治のお膝元ということなのでしょうか。


           よくワカラン地図

     
    長岡忠治の墓の碑                  そのとなりの忠治の本当のお墓。上部に削り取った跡も

駅の案内板では忠治のお墓まで徒歩15分とありますが、駅の橋上通路の地図(写真)では徒歩5分とあります。線路
との位置関係を注意しながら、コンパスやケータイの地図を見て歩き回るのですが、案内標識などがすぐ近くまで行か
ないと現れず、サッパリ判りません。結局40分程かかってようやく着きました。それでも案内などなく、とあるお寺の前
で右往左往していたら、参拝者が声をかけて下さり、ようやく判明したという次第です。デカイ石碑には長岡忠治の墓と
ありますが、本物はそのとなりの円柱状のもので、削り取った跡もあり、何代目かの墓石なのでしょう。オリに入れられ
たみたいに囲われていました。国定というのは地名で、長岡姓があるということは庶民ではないのでしょう。しかし、昔は
養子縁組は盛んに行われていたので、どういう素性の人なのか、詳しくはネットで検索して下さい。


 
帰路は一旦両毛線の線路を越えて北側から駅に向かいました。線路を越えてすぐに右折し、線路沿いを駅に向かった
のですが、駅が近付いてきたところで駅の駐車場が出現し、行く手を阻みました。仕方ないので迂回して、お墓から徒歩
12〜3分で駅に着きました。よい運動になりました。途中にも駅の付近にもコンビニなど食べ物を仕入れる場所はなく
空虚なまま列車を待ちました。(おわり)

列車旅INDEXへ