2007年7月 信州大平宿お散歩
2007年7/16、以前から訪ねてみたいと思っていた飯田近郊の
大平宿に行ってきました。大平は伊那谷と木曽谷を結ぶ街道の
宿場で、昭和40年代頃、集団移転で無人地帯になったといいます。
建物は保存され申請すれば宿泊可能なのだとか。さあて、今日は
バイクで出発。同行者を募ったら射程距離の短いヤツばかりだし
また、山道などとんでもないという未熟者もいて一人で行くことに。
写真は飯田の西南、阿智村の駒場宿です。飯田市内からの道が
わからず国道256号から入る作戦に切り替えて遠回りですが
確実なルートを採りました。
バス停には局前とあるので郵便局でしょうか。駒場は三州街道
の宿場で、信州側では名残をよく留めています。
忘れちゃイカン長岳寺。駒場は武田信玄が死んだ場所ともいうの
ですが、この長岳寺は信玄の遺体を火葬にした寺だといいます。
国道256号を木曽方面に進み、清内路トンネルを抜けて少し進む
と大平高原への入り口が現れ、右折します。狭いですが舗装され
ています。少し進むとソバ屋があり、木曽峠というのがありました。
隘路クネクネを繰り返して進みますが対向車などほとんどゼロ。
天気もイマイチで涼しく、まあ快適でした。15分ほど進んで行く
と、家が現れ、大平の集落に入った模様。休日のみの営業らしい
ソバ屋もあり、数台のクルマが止まってました。この建物は廃校
という感じです。
もう少し先に目指す大平宿がありました。右の未舗装の道沿いに
古い大きな建物が幾つもあります。
新しい感じの建物もあるのですが屋根にブルーシートを置いた
まま放置されていたり、朽ちそうになっていたりと鬼気迫るもの
があります。
こんなボロイ建物でも申請すれば数千円で宿泊可能らしく、その
お金で修理などをするらしいです。この建物に泊まるくらいなら
クルマやテントの中で寝たほうがマシでしょう。大体私の如きは
コワくて一睡も出来ないでしょうな。
しかし。人は誰もおらず不気味です。昔は旅人や荷駄で栄えた
であろう大平も今は、ほぼ無人地帯です。ここは道路沿いですが
散策すればこの周辺には廃村がまだ眠っているのかも。
住人など当然だれも居りません。それでも大平宿の外れに一軒
土産など売る、店らしき家があり、そこは住人がいるようでした。
休日ですらほとんど無人なのに、商売が成り立つとは思えない
のですが。普通の人ならコワくて住めんでしょう。
家をよ〜く見ると煙突が後付けされていますね。明治期に日本に
来た欧米人が、この国の人は煙突を知らないと書いていたのを
見ましたが、これはせめてもの暖房用ですかね。こんなスキ間
だらけの家じゃどうでしょうか。昔の家主の方は今いずこに。
このタイプの民家は信州独特の構造もあるらしく、中を見ていない
ので断定できないのですが、外観は一見二階建てですが、内部
は平屋なのです。この家も出桁造りで、場合によっては二階の
外に張り出している部分が廊下だったりしますが、この高さでは
平屋でしょう。また、屋根の角度が緩いですが、これは板葺きで
上に重しの石を載せるので、急角度だと落ちてしまうからです。
帰路は狭いクネクネ道を延々と下って飯田に抜けました。大平宿
は集落が朽ちてゆく過程にある感じで、住人が居なくなった家屋
というのは魂が抜けたようなものだと感じました。保存のため手入
れをされ、努力なさっている方々も大勢おられるので、今後に注
目したいと思いました。写真は濁流の天竜川。(おわり)
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