「不撓不屈の岳人加藤文太郎の追憶」より
”一度だけ会った人” 新田次郎

加藤文太郎さんとは冬富士で一度だけ会いました。三十五年も前のことでほんの二こと三こと言葉をかわしただけでしたが,そのときの印象はきわめてはっきりと残っています。当時私は中央気象台に勤務していて,富士山観測所に交替勤務のため登山する途中で彼と会ったのでした。私たちは五合五尺に泊って,二日がかりで登ったのでしたが,彼は一日で登りました。突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで彼は歩いて行きました。私たちは天狗のような奴だなと云いながら見送ったものでした。
私が小説「孤高の人」を書いた動機はいろいろありましたが,もし,このとき彼と会っていなかったら,おそらく筆は取らなかったのではないかと思います。ちょっと顔を合わせただけでしたが,なにか心の中に残ったものがあったのです。小説の中で歩く加藤さんの姿は,そのときの彼の姿であり,小説の中でときどき使った,不可解な微笑も,五合五尺の避難小屋で彼が浮かべていた顔つきでした。そのとき彼は,アルコールランプに火をつけて,コッフェルで湯を沸かしていました。湯が沸くとその中に,ポケットからひとつまみの甘納豆を出して投げこみ,スプーンですくっておいしそうに食べていました。
「まだ日が高いのにここに泊まるのですか」
彼はこんな意味のことを云いました。そのときはもう三時近くになっていました。冬の午後三時は行動停止の限界でした。
「もう間もなく暗くなります」
私は時計を見ながら加藤さんに,云いました。すると彼は,そのとき,にやっと,まことに不可解な微笑を浮かべて
「そうですか,私は頂上まで行って見たいと思います。頂上には観測所があるのですね」
と聞きますから
「観測所があって所員が五人います。泊めて貰ったらいいでしょう」
と云って上げました。彼は甘納豆を食べ終わるとすぐ出発しました。
そのときの不可解な微笑について,花子夫人に聞きますと,照れかくしの微笑であって,誰でも馴れるまではちょっとへんに思ったらしいということでした。小説の中では,この不可解な微笑がたいへん役に立ちました。
新田次郎氏
小説「孤高の人」取材のため加藤文太郎氏の墓参
浜坂加藤家高見墓地

加藤文太郎さんを小説に書くに当たって困るようなことはほとんどありませんでした。遠山豊三郎さん(小説では外山三郎)と花子さんに訊いただけで充分でしたし,資料は遠山さんと花子さんがすべて提供して下さいました。私が書いた長編小説としては,幸福に恵まれた小説でした。しかし苦労した点が全然ないのではなかったのです。花子夫人に最初に会ったときに,加藤文太郎という実名小説にして下さいと,一本釘を打ち込まれたことでした。この釘は最後まで,私の筆をおさえつけました。実名小説となると,たとえ小説であるからと云って,へんなことは書けなくなります。御遺族や御親戚がおられるからです。しかし,もともと,加藤さんという人は,誰に聞いても,いい人だったから,実名小説でなくとも,やはり”孤高の人”の中に出てくる加藤さんのような人を書くことになったと思います。
”孤高の人”が出版されてから,全国の人からたくさんの手紙を頂きました。どの手紙にも一様に,加藤文太郎さんの故郷の浜坂へ行って見たいと書いてありました。私の筆で描いた浜坂よりは,実際の浜坂はずっと美しいところですからぜひ行って見て下さいと私は返事を出しました。ほんとうに浜坂は人情がこまやかであり,景色が美しいところです。”孤高の人”加藤文太郎さんの故郷にほんとうにふさわしいところだと思っています。
(作家「孤高の人」著者)