サクラメント



春に降る雪



こんな感覚は知らない。
こんな気持ちは知らない。
誰もそれを教えてくれる人なんていなかったから。
イライラする。
アイツが話しかける度。
アイツが笑いかける度。
アイツがアイツがアイツが―――――
でも、一番イライラするのはコレが何なのか解からない自分自身で……
コレをどうすればいいのか解からない自分自身だった。



■■■



ほら、またそうやって笑う。
どうしてお前は笑うんだ。
どうしてそれを向けられるのが自分なんだ。
早く行こう、と差し伸べられた左手。
自分に差し出されたその手と笑顔に、差し出そうとしていた右手がぴたりと止まる。
そして、差し出された手をじっと凝視する。
不可思議な行動を取る自分にミカゲはやや困惑したように、どうしたんだ、と心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
視線と視線が至近距離で交錯する。
思わず俺は、何度も何度も喉まで出かかった問いを口に出してしまいそうになる。
どうしてお前は笑うんだ。
どうしてそれが―――――
問い掛けようにもそれを言葉にする術を持たないことに気付く。
そして一生分にも匹敵するような沈黙に耐えられなくなり邪険にその手を振り払ってしまう。
いつもと同じ繰り返し。
でもミカゲはそんな自分の嫌われても文句の言えない行動にまったく懲りる様子がない。
その手を振り払い足早に次の講義に向かおうとする俺の背を、待てよ、と言いながら小走りに追ってくる。
その声音に不快の色はなく、俺の中にまた一つ、
「何故」
という疑問符が雪の様に降り積もっていく。



夜。
しん、と静まり返った室内には下の寝台にいるミカゲの寝息だけが規則的に響いている。
どうしてか今夜は寝つきが悪い。
無理矢理でも寝付かないと明日の実技に響くだろう、と目を閉じても浮かんでくるのは昼間のあの出来事。
些細な、ほんの些細なあの出来事が心の中に引っかかってぐちゃぐちゃに俺の中を掻き乱す。
(今までだって何度も何度も同じようなことがあっただろ!!)
己を鼓舞しようとしても、更に複雑に感情という名の糸は強く硬く絡まっていく。
「っくしょう…何なんだ……」
こんな感覚は知らなかった。
こんな感情は知らなかった。
全てが変わってしまった。
ただ、心を殻にして、感情に蓋をして、ただ言われるがままに殺していれば、そうすればいつの間にか全ては終わっていたのに。
いつもその繰り返しで、それで全ては終わるはずなのに。
どうしてこんな――――― 一時の感情に何時までも執着しなければならないんだ。
その理由を知りたいはずなのに、心のどこかでそれを拒否する自分がいることに俺は気付いていた。
必死で蓋をして押し隠していても、それはふとした油断で顔を覗かせる。
そんな自分がたまらなく嫌だった。


「どうした?」
その言葉にはっと我に返る。
いきなり現実に引き戻され、それの問い掛けがどこから投げ掛けられたものなのか理解するまで数秒掛かった。
「怖い夢でも見たのか?」
くつくつと笑いを含んだその言葉は下の寝台から投げ掛けられていた。
まただ、イライラする。
その声にその言葉に、そして何よりぐちゃぐちゃになっている自分自身の内面に。
そんなことをつらつらと考えていると
「大丈夫か?」
いきなり目の前にミカゲの顔が現れる。
そして昼間と同じように俺の顔を覗き込んでくる。
自分を気遣ってのその声に、その言葉に、その表情に―――――
ぴしり、と亀裂が入る音が聞こえた気がした。
いつまでも反応を示さない俺にミカゲの表情に焦りの色が落ちる。
「本当に大丈夫かって……ぅわっっ!!」
気がついたら俺は、ミカゲの襟刳りを掴み上げ、床にその体を押さえつけていた。
二段ベッドの上からいきなり掴み落とされたのだ。
かなりの衝撃を全身に受けたミカゲは頭を擦りながら、
「いっきなりどうしたんだよテイト!!」
何故こんなことをしたのか、という疑問の中に若干の怒りを含んだ瞳で俺を睨み付けてきた。
当然の反応に、俺は
「……っんなんだよ!!」
「え……」
「なんでこんな……」
最初に入った亀裂が徐々に広がっていく。
「……テイト」
そろりと頬に触れてくるミカゲの手。
その暖かさに、その感覚に、最初に入った小さな小さな亀裂が粉々に砕け散った。


「……かんねぇんだよ」
押し止めるものがなくなった感情が、一気に逆流してくる。
「なんでこんなぐちゃぐちゃなんだよ!!わけわかんないんだよ!!なんでお前は俺なんかに……」
どうして。
その問い掛けを口にして、後悔した。
怖い
言うな
言うな
言うな
ミカゲの瞳に、一瞬、悲哀の色が浮かび、その口元が言葉を紡ごうと微かに動く。
やめてくれ
「や………」
喉の奥がからからに渇いて言葉が出て来ない。
ミカゲの目をまともに見ることが出来ない。
こんなわけのわからない思いに縛られるくらいなら、いっそ何もなければ良かったのに。
あの頃のように。
なんて利己的なのだろうか、自分は。
また、知らなかった感情が一つ、降り積もった。
「なぁ……テイト」
いつもと同じ調子で、親しい友人にでも話しかける調子で言葉を投げ掛けるミカゲ。
その予想外の反応に拍子抜けしてしまい、思わず伏せていた顔を上げる。
それとほぼ同時に
「ッッイテ!!」
眉間に鈍い痛みが走る。
「さっきの仕返しだ」
そう言ってミカゲはニヤリと笑った。
「だからってなんでデコピンなんだ!」
「痛み両成敗ってヤツだよ」
それを言うなら喧嘩両成敗だろう……まぁ、似たようなものではあるが。
ひりひりと痛む眉間を擦りながら、ミカゲと目が合う。
「お前は……」
「ん?なんだよ」
「……っただろ」
「なんだって?よく聞こえないぞ」
「だーかーら、これより痛かっただろ!!」
なら両成敗ではないのではないか、と一気に捲くし立てた。
そうすると今度はミカゲの方がわけがわからない、という風に呆けた顔でこちらを見ている。
そして困惑していたその瞳は何かを思案するように何処かを巡る。
そしてピタリ、と俺の目の前で止まった。
「それはちょっと違うな」
「ちが…う……?」
ってどういうことだ。その問いは最期まで発せられることは無く、
「テイトはいつも痛そうだったから」
「いた…そう……?」
いつ、そんなことがあった?
ミカゲと出会ってから、目に見える傷なんて負ったことはなかった。
なのに、どうしてそんなことを言うんだ。
「俺はそれが何でなのか分からなかったし、それに多分、それを解かることは出来ないって何処かでなんとなく諦めてた」
「ミ……カゲ………」
「でも、今のお前が倒れそうになったら支えられるくらいのところには居たいって思う」
言葉が出て来ない。
否、こんな時に何と言えば良いのかわからない。
でも、それでも俺は、
「だから今のでおあいこってことだ」
そう言って微笑むミカゲに、
「………とう……」
これが、今の俺の精一杯だった。





それは雪のように降り積もっていき、
一面の雪原を作り上げ、
そこに出来た足跡が一つではないことに、やっと気付いて、

雪はとても冷たくてすぐに消えてしまうはずなのに、
こぼれ落ちてくるソレは、とても、とても暖かかった





End.



>Main
>Top