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赤と黒のグランギニョル



それは小さな違和感から始まった
とてもとても小さな違和感
ふっと、瞬きの瞬間に忘れさられてしまう程の
今までなら見落としてしまっていただろう、この感覚

なぜだろう
最初にアイツに出会ったときに感じた
この感覚
些細な、ほんの些細な棘のようなモノ
その薔薇の棘等とは比較にもならないほどの小さな小さな棘は
今も、抜けることなく胸の奥底に突き刺さったまま

ジクジク、と

ときどき、痛み出す



■■■



「……ゲ…」
誰だろう。
「…カゲ……」
今、俺は何をしていたのだったっけ。
「ミカゲ!!」
その俺を呼ぶ声に、はっと我に返る。
しかし、まだ現実と夢の中との境界が曖昧だ。
そんなまだ焦点の定まっていない思考回路をフル回転させ、声の主の方を振り向く。
「授業、終わったぞ」
そこにはやや憤慨した親友の顔があった。
―――ああ、そうか
そういえば今は授業を受けていたのだったか。
どうも記憶が曖昧……というか無い。
まったくの白。無だ。
「……今、何やってたんだっけ」
本心からの疑問を素直に口にする。
その疑問を口にした途端、それまではやや憤慨していた親友のその顔に、明らかな怒りの色が広がる。
「まだ寝惚けてんのか!ミカゲ!!」
……どうやら俺の何やってたのか発言をふざけていると思ったらしい。
確かに、無理もないと言えば無理もない反応である。
―――本気、なんだけどなぁ……
そんなことをつらつらと考えていると
「次、早く行かないと遅れるぞ!!」
その性急な声音に今度こそ意識がはっきりと覚醒する。
「ほら!早く!!」
ぐいっと急かすように腕を掴まれる。
そしてその翡翠の瞳と視線が衝かる。
ジクリ
……まただ
この感覚。
この瞳に見据えられる度に、胸に刺さった違和感という名の棘が微かに痛む。
そして、いつも通りにその痛みを無理矢理心の奥に押し込む。この繰り返しが何度己の中で行われただろう。
今はまだ、それを知る勇気は俺にはなかった。



全てを終え寝台に潜りこんで数十分。
うとうとと夢と現の境を彷徨いう。
そして今日一日の出来事を反芻する。
いつもならこのまま睡眠へと意向するのだが、今夜ばかりは違っていた。
かたり
しん、と静まり返った室内に何かが動く音が響いて、眠りへと落ちかけていた意識が現実へと引き戻される。
この部屋で物音を立てるのは、自分ともう一人だけだ。
息を殺し、感覚を研ぎ澄ませる。
最初の音から暫くして、ぎいぎい、と上の寝台から階段を降りてくる音。
そして、音が止み、自分の寝台のすぐ横へと人が降りる気配。
その気配は出口の扉へと向かう。
足音は、ない。それが余計に不安と焦りを増殖させる。
どくんどくんと波打つ心臓の音を悟られぬよう身を硬くしていると、ドアノブが捻られる微かな音と共にアイツの気配は完全に部屋から無くなった。
ふう、と溜まっていたモノを吐き出す。
そして、彼を追って部屋を出る。

体はその背を追った。
迷いは、無かった。



彼の後を追い、辿り着いたそこは仕官学校の北側に位置する現在は使用されていない古びた塔だった。
そこへ入っていく姿を物陰から観察し、一瞬、疑惑が胸を掠める。
何のためにこんなところに?
少なくともこんな夜中に来るようなところではない。
なら、何の目的があってここを訪れるのか。何もない筈の、とうの昔に廃墟となってしまった建物に。
一つの疑惑は、さらにもう一つの疑惑を生み、倍々になってそれは増えていく。
そんなことに思考を巡らせているうちに、
「あれ……?」
その背中を完全に見失ってしまっていた。
―――これはちょっと……マズイ、か?
ちょっとどころか不味い。
慌ててその背を追って今は誰もいるはずのない、無人の塔へと走った。



ぐるぐると渦巻く螺旋階段を昇る。
よくこんな物を昔の学生達は日々利用していたものだと心の底から感心せざるを得ない。
自分も体力には若干の自信はあるが、この階段と部屋数の多さには正直辟易していた。明かりのない、廃墟の中を当てもなく誰かを探すというのはこんなにも大変なものなのかと、気を抜けば折れそうになる己を叱咤する。
―――それにしたって、これはないよなぁ……
無意識に漏れた呟きは、闇へと溶け込み塗り潰される。
無音の闇の世界。生き物の気配を感じさせない冴え冴えとした空気。
恐怖がまったくない、と言えば嘘になる。
この先の見えない闇の中、実はアイツはとっくに建物の外に出て部屋に戻って寝ていました―――なんて、ありえないで欲しい仮定が心を掠めて、
―――――?
ふと、何も無いはずの空間に微かな空気の動きを感じた。
何だろうか、と神経を研ぎ澄ます。
―――これは……唄、か?
微かな、本当に微かな旋律が漆黒に染まった空気を揺らしている。その気配を敏感に感じ取った体が、蜜に吸い寄せられる蝶のように、俺自身を音の元へと運んで行った。



そこに、アイツはいた。
螺旋階段の終着点、主のいない塔の最上階で青白い月明かりに照らされながら唄っている。知らない旋律、知らない言葉。
唄うアイツの表情は、俺には解からない。
しかし、青白い月明かりの下、独り誰に聴かせるでもなく唄い続けるアイツのその後ろ姿に、初めに感じた違和感が再び痛みという名の棘となって俺の心を責苛む。
これもいつものこと。少しの間、目を瞑ればいずれは消えるのだ。
そう思い、目を閉じる―――が、今夜、この瞬間目の前にいるアイツだけはその”逃げ”が通用するような相手ではない。本能がそう悟っていた。
どれくらいの間そうしていただろう。
ふと、空気の温度が変わる。それと同時に硬く閉じられていた瞼が持ち上がる。
何故空気が変わったのか、その問いの答えは簡潔だ。唄が止んだ。そして、眼前にいたソイツと目が合う。
合う、という表現はこの場合適切ではない。一方的に見下げられていた。その、紅い瞳に。
「……だ…」
俺はそれを知らない。
その瞳は親友のそれではない。
「…誰だ……」
テイトは何処へ行った。
テイトなのにテイトではない。
初めに刺さった棘。
その棘は、疑惑や不安という毒を、傷口からゆるゆると流し込み、内側から俺を侵食していく。
そんな俺の心中を見透かすように、俺の知らないソイツは口端を冷淡に吊り上げて、嗤った。
「何故だ」
紅い瞳のソイツが俺に嘲りを含んだ声音で俺に問い掛けてきた。
「何故お前は主に関わるのだ」
「……何?」
「主を真に理解出来るのは我のみだというのに、何故かと問うている」
これが問いというのならば、この世の問いは全て消し屑のようなものだった。明らかなる断定と拒絶。最初からこちらの返答等聞き入れるつもり等毛頭無いということが、その静かに向けられている殺気から伝わって来る。
「………!!」
怖気付きそうになる心を奮い立たせる。
そして次の瞬間には、ソイツの胸倉を掴み上げ、その緋色の瞳と向き合っていた。
一瞬、ソイツは目を見開き、俺のこの行動を予想していなかったのだろう、驚いたような素振りを見せたが、それは気がついた瞬間には霧散していた。
そして、ククッ、と咽喉の奥から俺を嘲嗤ったかと思うと、不意にぐるりと視界が反転する。
背中が痛い。不意の事に受身を取ることも出来なかったためだ。
俺は、冷たい床に仰向けに倒され、夜空を見上げていた。月が、とても綺麗だ。
思考が若干麻痺しているのか、張り詰めていた緊張感が一時でも途切れたためか、その青白い月に魅入っていた。
ふと、その月光が閉ざされ、ソイツが俺を見下ろしてくる。
そして、体温は確かにあるはずなのに人の温かさというものが微塵も感じられないその瞳が至近距離まで近付く。
近くで見ると、そのあかい色も悪くないな、と思った瞬間
「ぐッ………!!」
突然、胸に襲い掛かる圧迫感。
心臓を直接抉られているかのような感覚。手加減等知らぬと言わんばかりに躊躇いなくソイツは俺の心臓をぎりぎりと締め付ける。
苦しい苦しい息が出来ない。
だが、その訴えを言葉にすることは出来なかった。
「―――――貴様、」
その声音の中に先程のまで嘲りとは違う色が微かに混じる。
「……もし主を裏切るようなことがあれば、この心の臓を抉り出して地獄の悪鬼共の供物としてやる故、ゆめゆめ忘れるな」
息苦しさから開放される。
そして、俺はずっと感じていた疑問をヤツに投掛ける。
「どうして……どうしてそこまでテイトに………ッ!!」
「開口一番の台詞がそれとは。つくづく人とは愚かなものよ」
すぅっとその瞳が自らの主を慈しむように、愛おしむように細められ、その問いの答え口にする。

「我が主をこの世で一番主を愛しているからだ」

そう告げると、ふっとその瞳が焦点を失ったように宙を彷徨い、糸が切れた人形のようにその体が俺に凭れ掛かってきた。
微かな痛みを背に感じながら、自分の胸の上で眠っている親友を伺い見る。
確かに感じられるその体温に安堵する。
だが、穏やかに眠るその表情の裏に、アイツが消える瞬間に見せた悲哀の色が見え隠れするような、そんな気がして慌ててそれを振り払う。
(もう暫くは、こうしていてもいい……かな)
そうして、もう一度月を見上げ、瞼を閉じた。





アイツが残したこの棘は、今でも時々痛み出す
これもお前が与えたものだというのなら
ほんの少しでもその痛みを分け与えてくれたのだと、そう思ってもいいのだろうか





End.



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