真夜中、愛にまどろむ







 史賀海正の部屋は確かに散らかっていたが、本人が言うほどでもなかった。
「本当に散らかってて……片付けますね」
 焦ったように靴を脱ぎ捨てて部屋に上がっていく後ろ姿の落ち着きなさが子供みたいだと思って、安曇春之はいいよ、と声を投げる。
「ちょっと散らかってるくらいのほうが僕も落ち着く」
「そんなこと言って、係長――安曇さんのデスク、すげえ片付いてるじゃないですか」
 漫画雑誌を恥ずかしそうに部屋の脇に積み直して、場所をあけてくれた史賀は「座布団とかなくてごめんなさいほんと」と謝りながら春之を手招いた。応じて床に直に腰を下ろすと、なんだか不思議な気分だった。
 適度に散らかったワンルームの部屋はそれほど広くない。史賀が慌てて閉めたクローゼットの中にはスーツと私服が何着か見えて、キッチンの流しにはフライパンがつっこまれていた。神経質なほどきっちり片付けられて塵一つないような杉沼の部屋とは、なにからなにまで違う。
「えっと、コーヒー淹れますね、あとよかったらシャワー浴びてください、狭いですけど。お尻痛くないですか? もし痛かったらベッドに座っちゃっていいですからね」
 お湯を沸かしながら史賀が声を投げてくる。大丈夫だよ、と返事をして、安曇はすぐ後ろのベッドを振り返った。
「ベッドに座ってもいいって言っても、もう一回安曇さんとしたいとか考えてるわけじゃないですからね、安心してください」
 史賀は緊張しているのか、いつもよりもやや早口だった。やかんをそのままにして安曇の傍まで来ると、ベッドから布団を引っぱり下ろしてたたむ。
「はい、ここ」
「……座布団代わり?」
「そうです、冷えたら困るし」
 女の子じゃあるまいし、と安曇は笑いそうになって、なんだかいたたまれなくなっておずおずとその布団の上に乗った。その横に、史賀も膝をつく。
「どこも痛くないですか?」
「痛くない。――そんなに心配してくれなくていい」
「だって、コインランドリー出るときふらついてたじゃないですか」
 そうっと抱きしめられて、安曇は体重を預けてもいいものかどうか迷って、結局じっとしていた。史賀は構わずに安曇のこめかみに唇をつける。
 無言のままちゅっ、ちゅっ、と音だけたてられて、五回繰り返されたところで安曇は俯くようにして逃げた。
「お湯、沸いてる」
「そんなに硬くならなくても、エッチなことはしないですから。ふらふらしてる人に無理やりしたりしませんよ俺」
 不満げにそう言って、史賀は立ち上がる。インスタントですけど、と言いながら手早く二人分のコーヒーを作って戻ってきた史賀は、凝りもせずに安曇の隣に座ろうとする。
「テーブルの、あっち側に座ったらいいじゃないか」
「嫌です」
 安曇のささやかな抗議に間髪いれずに応えた史賀は、安曇の背中に手を回してくる。
「だって、触ってないと、安曇さんが消えちゃうかもしれないから」
「僕は幽霊じゃないよ」
「もしかしたら、俺の妄想が行き過ぎてこれが夢かもしれないでしょ。だから、確かめてるんです」
「……」
 それは屁理屈じゃないかな、と安曇は思ったが、史賀は安曇の髪にかるく口づけて、満足そうにコーヒーを口に運ぶ。
「安曇さんもどうぞ。あ、もしかしてコーヒー飲むと眠れなくなっちゃいます?」
「いや、大丈夫」
 そういうことじゃないよと思いながら、安曇はそろそろとカップを手にした。なにが慣れないといって、誰かとくっついて飲み物を飲む、なんて初めてのことだし、こんなに無駄なキスをされたこともないし、したこともない。愛しそうに背中を撫でられると、心地よさや快感を覚える以前に、困惑が先に立つ。
 性的な匂いのしない、けれど親密な触れあいは、安曇には縁のない、実感のしようもないものだった。
 こういうのが普通なんだろうなと思いながら、安曇がゆっくりコーヒーを飲むと、史賀が小さく笑った。
「安曇さん、ハムスターみたい」
「はむすたー?」
 ハムスターというのはぽやっとしたねずみじゃなかったか、と安曇は眉を寄せた。うん、と気安く頷いて史賀は抱きしめる腕に力を込める。
「ハムスターって、懐くまですごいびくびくするんですよ」
「……飼ったことがあるのか?」
「弟が。懐くと可愛いんです、手の上でごはん食べたり、毛繕いしたり、寝ちゃったりするんです」
 懐かしそうな声で呟いて、史賀はまた短いキスをこめかみにした。
「本当は風呂も一緒に入って綺麗にしてあげて、拭いて乾かして、布団に入れて子守唄もつけたいですけど、たぶん引かれるから今日は我慢します」
「……そうしてくれると、助かるよ」
 その台詞だけでいっぱいいっぱいだと思いながら安曇は喉元に触れた。きゅ、とネクタイをしめて、まだ熱いコーヒーをできるだけ急いで飲み干す。史賀の腕をほどくようにして立ち上がるときも、まともに彼の顔は見られなかった。
「風呂、借りるよ」
「どうぞごゆっくり」
 笑い混じりの史賀の声が背中を追ってくる。きっと顔を見られた、と思いながら安曇は手の甲で頬を拭った。信じられないくらい熱い。
 ――信じられないくらい、気恥ずかしい。
 急いでバスルームに逃げ込んで、そそくさと服を脱ぎ、頭からシャワーをかぶると少しだけ落ち着いた。もういっそ、あがったら帰りたい。適度に散らかって居心地のいい部屋で、またあまったるい会話をしたりキスされたりするのかと思うと目眩がしそうだった。
 セックスならこんなことないのに、と安曇は思う。セックスするなら、なにも考えなくていいのに。
 とはいえ、さすがに、もう一ラウンドをこなすほど体力は残っていない。史賀のほうはまだ大丈夫だろうから、あがったらしゃぶってやるとでも言おうか。そうしたら多少は、このいたたまれない恥ずかしさや、とまらない動悸も治まるかもしれない。
 舐めるのも嫌いじゃないし、と思って、安曇はそろりと後口に指を宛てた。コインランドリーで中に射精された分は、ほとんど零してしまって史賀が拭き取ってくれたけれど、念のために指を差し込んで確認する。
 にぶい痺れるような痛みに顔をしかめて、ふいに、史賀の感触を思い出した。奥深く、抉るように、貪るように征服してきた圧倒的な熱と質量が、腹の中に蘇る。
「……っ」
 一瞬甘美な欲が身体を走り、安曇はふらつきそうになって壁に手をついた。だめだ。明日立てなくなったらさすがに困る。今でも下半身から力が抜けていきそうなのだから。
 舐めるだけだ、と言い聞かせて上がると、史賀は「はい」と部屋着を差し出してきた。
「その格好じゃ眠れないし、かといって全裸とか下着とかは、刺激が強すぎますもんね」
 照れ笑いを浮かべられ、安曇は拒否することもできずに受け取った。微かに史賀の匂いのするそれに着替えてしまうと、ぼうっ、と身体が熱くなる。性的な興奮とは別の、恥ずかしさと嬉しさの入り交じった熱だった。
「史賀は、優しいな」
 大きめのトレーナーの襟元をひっぱって呟くと、史賀は「そんなことないです」と笑う。
「はい、ベッド入って。電気消しますから」
「――史賀。あの、」
「なんですか?」
 おまえの、舐めようか。――そう言うはずだったのに、当たり前のように安曇の身体をベッドに押しやる史賀のきょとんとした顔を見ると、なぜか言えなかった。口ごもると、史賀はまた笑う。
「もしお礼とかならいらないですからね。はい、入って入って」
 押し切られるような形で安曇はおずおずベッドに乗り、シーツとやわらかいタオルケットの間に身体を滑りこませた。それを見届けた史賀はぱちんと照明を落とし、「失礼しまーす」と言いながら安曇の隣に上がってくる。
「っ、い、一緒に眠るのか?」
「だって布団一組しかないんですよ。さすがの俺も風邪をひきそうなので。――大丈夫です、今夜は我慢します」
 ちゅっ、と音をたてるキスが、再びこめかみを掠めた。びくりと首を竦めた安曇に、史賀はやんわりと囁いた。
「ていうかいっぱいさせてもらいましたしね、今日はもう。――おやすみなさい」
「……お、やすみ」
 おやすみと挨拶して同じベッドで眠る。
 それさえ、安曇には初めての経験だと、史賀が知ったらなんと言うだろう。
 史賀と杉沼はなにもかもが違う。
 そして、安曇ともなにもかもが違う。
 いそいそと、嬉しそうに安曇の身体を抱き込んだ史賀は、気に入っているらしいこめかみへのキスをまたしてよこして――ふう、とため息をつくと、安曇の頭に頬をくっつけて動かなくなった。たいして経たないうちに呼吸がゆっくりになるのを感じて、安曇は身じろぎをしないままそっと息をついた。
 眠れるわけがなかった。
 でも、それでもいい、と思う。なにもかもが違う年下の、この健全そうな男に抱きしめられていると、セックスをしていなくても――こういう幸せが心地よいものなのだと、錯覚できそうな気がするから。
 
 


 





END



『飛べない鳥は夜に啼く』おまけです。
コインランドリーの、その後。
J.GARDEN34にて、ペーパーとして配布しました。
あっけらかんとしたビッチ受も好きですが「こんなはずじゃ……」と言いつつ快感には弱い受というのも楽しいなあと思います……!


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