チョコレートナイト
(「やがて恋を知る」おまけSS3)













 テーブルの上に鎮座した2つの包みを前に、安曇春之は膝の上に手を置いて固まっていた。
「どっちか、選べ」
 安曇の向かいで、腕を組んだ杉沼裕文が重々しく言う。その隣で、史賀海正がなだめるように優しい声を出した。
「どっちでも、もちろんいいんですよ。単に順番の問題ですから」
「おまえはなんだってそう、いつも自分ばかり点数稼ぎするんだ」
「杉沼さんだって、俺に勝手にレストラン予約したじゃないですか。結局お店はあなたに任せたんだから、本当はチョコは俺のほうを先に選んでもらうのが筋なのを、こうして公正な機会を設けているんです。文句を言われる筋合いはありません」
 苛立たしげな杉沼の声と、不満げに反論する史賀の声に、安曇は首をすくめるしかない。――いたたまれない。
 今日は、二月十四日。世に言うバレンタインデーというやつなのだった。
 先週、杉沼から「来週の金曜は外で食事しよう。たまにはいいだろう」と誘われて、確かにたまにはいいかもしれないと頷いたときには、安曇はすっかりバレンタインデーの存在を忘れていた。言葉どおり、久しぶりだからたまには、という意図だけだと思っていたから、あっさり頷けたのだ。
 けれど、史賀も一緒に三人で行ったレストランは、大人向けに落ち着いた雰囲気だったにもかかわらず、こぢんまりした店内の他の客は全員カップルで、店のメニューも「バレンタインコース」しかなかった。
 すみません、このメニューしかなくて、と申し訳なさそうに店員に言われてはじめて安曇は今日が十四日だと気づいたが、杉沼も史賀も平然としていた。こんな日に予約をしたんだから仕方ない、それでいいです、と応じた杉沼は堂々としていて、史賀にいたっては「デザートがチョコレートなんで却って嬉しいです。甘いもの好きなんですよね」とにこにこしていた。青ざめたのは安曇だけで、なんだかひどく割にあわない気がしたけれど、食事自体はとてもおいしかった。
 それにしても、せっかくのバレンタインにレストランを予約してくれたということは、もしかしたら二人は自分からのチョコレートを期待していたのではないか、と気づいたのは、隣のテーブルで女性が男性にチョコを渡すのが見えてしまったときだ。鈍いにもほどがある、と自分でも思う。
 ちなみに、安曇の会社ではバレンタインに女性社員から男性社員にたいして「義理チョコ」を配る行為が禁止されている。なので、本当にまったく――気づかなかったのだ。
 謝るべきかどうか迷い、外で口にすることではないかと思って、家に帰ってきてから「僕はなにも用意していなくて」と切り出すと、史賀はほがらかに「そうじゃないかと思いました」と微笑んだ。
「ちょっとは期待してましたけど、過剰な期待はしてませんでしたからいいですよ。でも、俺からのは受けとってくださいね」
「俺からもだ」
 そう言って二人は安曇をテーブルに座らせ、それぞれ綺麗にラッピングされたチョコレートの入っているのだろう箱を並べた。そして、
「どっちを先に食べるか選んでくれ、安曇」
 真剣な面持ちで杉沼がそう切り出して、安曇はどうしたものか困って強張った、のだった。
 しかし、史賀がヒントをくれたので、こっちが正解かな、とそろそろ手を伸ばす。
「あの……レストランが杉沼先輩の選んでくれたところだったということなので……史賀、のを」
「ほう。本当にそっちでいいのか?」
 きらっ、と杉沼が目を光らせて声を低くし、安曇は伸ばしかけた手をひっこめた。史賀が憤然と声をあげる。
「ちょっと、杉沼さん脅かすのはなしですよ! どうしてそうずるいんですかあなたは」
「ずるくない。もしそっちを選んだらあとで後悔するようにたっぷり可愛がってやるだけだ」
「もうちょっと素直に言えばいいのに」
 呆れた目で杉沼を睨んだ史賀は、安曇のほうに向き直ると、「俺のほうにしていいですよ」と言う。
「杉沼さんの脅しとか勝手な言い分は無視していいですから。今俺のほうに手、伸ばしてましたもんね?」
「偉そうなこと言うくせに、おまえだって必死じゃないか」
「杉沼さんは黙っててください」
 無駄に火花を散らす二人に、どうしていつもこうなっちゃうんだろう、と思いながら、安曇は椅子の背に身体を預けた。
「それじゃあ、二人とも、自分のほうをそれぞれ自分で開けてください」
「「自分で?」」
 綺麗に杉沼と史賀の声が重なった。不本意そうな顔で口をつぐんだ二人を交互に見て、安曇は頷く。
「開けて」
 珍しく命令にもとれる安曇の口調に、二人は顔を見合わせたあとで、それぞれ包みをほどいた。蓋も開けてもらうと、中には、華やかさはないが上品そうな、スタンダードなチョコレートが収まっていた。史賀のが六個、杉沼のが五個入りで、どちらも手間をかけて作られたものなのが一目瞭然だった。こんなチョコレート、一度も貰ったことはない。そもそも、安曇は甘いものがたいして好きではないけれど、気持ちは嬉しいな、と思って、わずかに胸が疼いた。
 二人とも、いったいどんな顔で、どこで買ったのだか。
「じゃあ」
 どきどきしはじめた心臓をなんとか鎮めようとしながら、安曇は囁くように言った。
「どれでもいいので、一個ずつください。同時に食べます」
「――」
「それでいいでしょう?」
 蓋を開けてみて大きなチョコレートだったら困ったが、どちらも一口サイズだ。だったら問題ない、と口を指差してみせると、なぜか、杉沼も史賀もわずかに頬を赤くした。視線が泳ぐ。
「……それなら、一個ずつ、直接おまえの口に入れる」
「そうですね。そうしましょう」
 いや、選んでくれれば自分で――と安曇は思ったが、言う間もなく二人はチョコレートをつまんでテーブルを回り込んでくる。
 口を開けて、と低く史賀に言われ、腰のあたりが痺れて、安曇は失敗した、と思った。これはすごく――失敗した。
 でも、言い出したのは自分だ。仕方なくおずおずとひらいた唇の上に、チョコレートが二粒押しつけられる。くい、と押し込まれてきたそれは、甘いと感じる間もなく指で頬のほうまで入れられて、ひくん、と喉が鳴った。
「ん、ぅ……、う」
「ほら、噛んで」
 ひどく嬉しそうに、陰靡に史賀が囁く。指がつうっと歯を撫でて、ぞくぞくぞく、と震えが走る。
「噛んでいいんだぞ」
 重ねるように、杉沼の指が上顎のほうまで侵入して、閉じられない口の端から唾液が垂れた。恥ずかしさに、安曇は目を閉じる。なんとか押し出そうと控えめに下で指を押そうとしてもチョコレートが邪魔で、その上舌まで指でいじられて、喉で声がくぐもった。
「んんん、ぅっ、」
 無意識に身体が揺れた。すがるものを求めて伸ばした両手を、それぞれ史賀と杉沼に握りしめられる。
「もう我慢できないか。あっというまだな」
「仕方ありませんね」
「まったく、安曇はしょうがないな」
 嬉しげに言う杉沼に反論したかった。子供みたいに張り合って、「しょうがない」のは二人のほうだ。そう思うけれど、名残惜しげに口の中を撫でられ、チョコレートだけ残して指が抜けていくと、喪失感がすっと背筋を襲った。
 思わず噛んだチョコレートのどちらかから、濃密に甘いアルコールが溢れ出す。それに甘酸っぱいチェリーの味が入り交じり、それから、わずかに渋みのあるカカオの味が舌に沁みた。
 零してしまわないように飲み込むと、史賀の指が唇を撫でた。
「チョコ、ついちゃってる」
 言いざま、唇を塞がれる。唇を食むようにくわえられ、ちゅうっと吸われて、安曇は震えて目を閉じた。椅子の上が窮屈だ。身体がもどかしい。
 史賀は焦らすようにゆっくりと安曇の口腔を舐め、優しく笑う。
「チェリー味とウィスキー味、おいしいですね。もっと食べましょうか」
「や……もう、」
 ほとんど勝手に零れた声は、自分で嫌になるくらい掠れて甘えた響きだった。最近、スイッチが入ると前よりずっと我慢がきかなくなった気がする。
「もう?」
 手を握り、安曇の髪を撫でて、杉沼の声が意地悪く耳を掠める。安曇は身を捩りながら訴えた。
「もう……ベッド、に」
「ベッドはまだ駄目です」
 珍しく、史賀が安曇のおねだりを却下した。驚いて見返すと、彼はにっこり笑う。
「だってせっかくのバレンタインですよ。チョコレートもこんなにあって、まだ二個しか食べてないんですから」
「甘いものが苦手なおまえでも食べられそうなのを選んできたんだ。確かにこれを使わない手はないな」
「……使うってなにに……」
 怖いのと期待が微妙に混じった気分で安曇は身じろいだが、史賀はただ笑うだけだった。
「どう使うかは、これから教えてあげます。――まずは、服、脱いじゃいましょうね」
 彼の指が滑り、スーツの上着を肩から落とす。杉沼が指を差し入れてネクタイをほどくと、安曇の腕を取って椅子の後ろに回した。
「じっとしていられるようにだ」
 きゅ、と音をたててネクタイで手首を縛られて、それだけで身体の芯が熱く疼いた。顎を上げて浅く喘いだ安曇を見下ろして、杉沼と史賀が楽しげに目を細める。
「バレンタインのチョコ、春之さんは用意してくれませんでしたから、これから勝手にプレゼントをもらいますね?」
「こっちからおまえに対しては、これもプレゼントの内だからな」
 言いながら焦らすように史賀の指が頬を這い、杉沼がスラックスのファスナーを下ろした。
 新しいチョコレートが選ばれる。長い夜を予感して、明日が土曜日でよかったな、と安曇は思いながら、触れてくる二人の手を受け入れた。  






END



J.GARDEN37で配布の小冊子に掲載した「やがて恋を知る」番外です。
本当は2月のバレンタインに公開できたらと思っていたのにできず、ペーパーにてお披露目となり、再録にいたっては季節感を完全に無視したかたちになりました。
馬鹿みたいにラブラブしている三人ですが、楽しんでいただけたら幸いです!



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