縁側コレクション









 控えめながら楽しそうな笑い声が庭のほうから聞こえて、花賀屋清士は窓にかかったカーテンをめくってみた。
 書斎には日光が入るのを嫌って遮光カーテンをかけ、常時閉めきっている。いっそ本棚でふさいでしまおうかと考えたこともあったのだが。
(ふさいでしまわなくてよかった)
 隙間から見える庭先では、十有が猫と戯れていた。
 ミルクティーみたいな色の猫は、数週間前からときどき庭を横切っていくようになった。どこかで飼われているらしく、毛並みはつやつやで肉づきもいい。花賀屋が見てもなかなか可愛い猫だったが、たぶん自分だけなら声をかけたり撫でたりしなかっただろう。だが、十有は猫を気に入ったらしく、猫が寄ってきたときは本当にうれしそうだった。
 すっかり顔なじみになったその猫に向かって、十有はパーカーの紐をゆらして遊んでやっている。
「じゃあ今度はここ。届くか? って、あ、わっ、そっちは駄目だってば」
 飽きてしまったのか、ぷいと向きを変えた猫が花賀屋の視界から消える。猫を追いかけて十有も窓枠の陰に見えなくなって、声だけがかすかに聞こえた。
「座布団取るなよ……清士さん、怒らないかな。寝るの? それなら、おとなしくしてろよ。俺は勉強してるから――あったかいなあ、おまえ。のんきな顔してさ」
 微笑みそうになるくらい、穏やかで優しい声だ。のびのびとくつろいでいる猫と、猫を愛でる十有が目に浮かぶようで、花賀屋は顎を撫でた。
 十有はこの屋敷の中でも縁側が気に入っているようで、花賀屋が仕事中は一人でそこで本を読んでいたりする。仕事に区切りをつけて戻ったとき、十有が縁側で庭のほうを向いて座っている背中を見るのが、花賀屋のひそかな楽しみだった。
 自分も気に入っている場所に、気に入っている可愛い恋人がいるというのはいいものだ。
 すぐにでも居間に戻って背中を眺めたあとで、隣に座ってお茶を飲み、ほどよいところで押し倒して、外の空気の中で喘がせたい。夜にベッドの中で可愛がるのはもちろん、昼間に愛してやるといまだに恥ずかしがるところが愛しいのだ。贈ったアクセサリー以外なにも身につけない裸にして、明るい日光の下で美しく色づく傷跡を眺めたい。
 ――が、あいにく、急ぎの仕事は今日の夕方までには必ず送らなければならなかった。
「仕方ない、仕上げてしまいますか」
 独りごち、花賀屋は机でパソコンに向かい直した。
 集中して原稿を仕上げ、二度読み返して送信すると、一時間以上が過ぎていた。
 いい加減猫はいなくなってしまっただろうと思いながら書斎を出て、昼食はなにか出前でもとろうと居間に顔を出す。
「ともくん。遅くなりましたが、お昼――」
 言いかけて、花賀屋は口を閉ざした。いつもなら声をかければぱっと振り返る十有の姿がない。応える声ひとつなく、花賀屋はふとひらめいて足を忍ばせた。
 そっと居間を横切って、開け放した縁側を覗く。
 初夏のほどよい日差しのそそぐ縁側では、案の定、十有が膝を曲げた体勢で横たわっていた。折り曲げられた膝と腹のあいだには、ぴったり猫が収まっている。パーカーの裾はめくれて、花賀屋が愛してやまない脇腹の傷が覗いていた。
 美しい。
 単純に、欲望や執着を抜きに美しく思えて、カメラがほしくなった。
 その手の生み出す芸術には不向きだと自認しているし、美しさのすべては写真では残らないとも思う。プロが撮るのでなければなおさらだ。けれど今は、それでもいいから写真に残しておきたい。
 美しくて幸福で、愛おしい景色。
 写真を撮るかわり、花賀屋は足音を殺して縁側に歩み寄った。猫はぴくりと顔を上げたが、花賀屋が邪魔するつもりはないとわかると、また頭を落とす。
 十有のほうはぴくりともしなかった。口元はうっすらひらき、無防備な寝顔だ。以前のように悪夢を見ている様子はない。手を伸ばして傷跡を愛撫したくなるのをこらえて、花賀屋はじっと見つめた。
 あどけない表情に反して、身体は色気たっぷりだ。けれどそれは誘惑するような類ではなく、骨董品や美術品がもつエロティックさに見えた。
(起きているときはそそられるような色っぽさですが――人形のような色気もいいですね)
 目が覚めないなら、やわらかい布で丁寧に磨きたい。
 初夏のぬるい風が通り抜けて、庭の梢を鳴らしていく。喧騒は遠く、鳥の声ひとつしない。時間がとまったような静けさ。ここはまるで楽園だ、と花賀屋は思う。
 この気温なら風邪をひくこともないだろうと、自然に目覚めるまではそっとしておいてもいいだろう。食事などいつでもかまわないし、午後の予定は先にのばせばすむ。
 うっとり目を細めたとき、視界の端で門扉が動くのが見えた。ぶらぶらと庭に入ってきたのは村瀬で、縁側にいる花賀屋に気づいて手を上げる。花賀屋は唇に指をあててみせた。
 静かに、というジェスチャーに怪訝そうにした村瀬も、すぐに眠る十有に目をとめたようだった。呆れたように肩をすくめつつ、足音をさせないように近づいてくる。花賀屋の隣に腰を下ろした彼は、こっそりと囁いた。
「視姦なんて趣味が悪いぞ。おまえに言っても無駄だろうが」
「そういう、適切でない単語を使われるのは不本意ですね。鑑賞しているだけです」
「だから、目で犯してたんだろ。やにさがった顔して」
 村瀬は迷惑そうな表情をしつつ、手にしていたビニール袋を差し出してくる。
「枇杷だ」
「ありがとうございます。初物ですね」
 十有が枇杷を食べたことがないと聞いたのはおとといのことだ。村瀬がかつて助けた男が今は農家をしていて、毎年おすそ分けしてもらえるんですよと言ったら、食べてみたいと笑ってくれた。だから早々に村瀬に頼んで、持ってきてくれと言っておいたのだが。
「思ったより早くて嬉しいです」
「早くしろっておまえが言ったんだろうが。まあ、注文もらえて嬉しいってあっちも喜んでたからいいけど」
 ビニール袋を縁側の奥、部屋のほうの日陰に置きながら、村瀬は花賀屋の身体ごし、十有を見る。動物に好かれる村瀬には警戒しないのか、猫はちらっと見ただけでまた寝なおしていた。
「幸せそうだな」
「――ええ」
 花賀屋は目を伏せた。
 そうだ。眠る十有は幸福そうに見えるから、こんなにも美しい。
「写真が撮りたいと思うくらい綺麗でしょう? せっかくぐっすり眠っているのを起こすのもしのびなくて」
「写真くらい、スマホで撮れよ」
「いやですよ。どうせ撮るならもっと、芸術的で完璧なものでないと」
「でもスマホなら持ち歩けるぞ?」
 にやっとした村瀬が自分のスマホを取り出して、静止する間もなく十有に向けた。
「ほら、撮れた」
「……きみが撮ってどうするんです。データを送って、そっちのは消してください」
 むっとして眉根を寄せると、村瀬はからかうように笑う。
「俺はおまえと違って悪用はしねえよ。今送ってやる」
 手早くスマートフォンを操作した村瀬は、後ろに手をついて花賀屋をじろじろと見てくる。
「なんです?」
「いや……なんとなく、ちょっと、丸くなったなと思って」
「体重は変動していませんよ」
「そっちじゃねえよ、わかってるくせに。おまえでも、そんな菩薩みたいな顔できるんだなと感心してんだよ」
 感慨深げな呟きに、がらにもなく胸をつかれた気がして、花賀屋は十有を見つめた。
 来訪者にも起きる気配のない、猫よりもくつろいでいる十有は、何度見てもこの上なく綺麗だった。
「……丸くなったように見えるなら、それはきみの願望でしょう。私は、変わってはいませんよ」
 こんな綺麗なものを、絶対に手放せない。せっかく時間をかけて傷を修復し、世界に一つだけの、自分だけの宝にしたばかりなのに、なにかのきっかけで失われるかもしれないと想像すると絶望したくなる。
「相変わらず、大切なものほど独占したいですし、手放すはめにならないよう、策はいくら巡らせても足りないと思っています。二重三重なんて、安心するには程遠いですからね。できるかぎり、つないでおく鎖は多いほうがいい。ともくんがそれとわかるような鎖はもちろんですが、絶対に気がつかないレベルでも、がんじがらめにしておかないと」
「そういうところは変わってなさそうだけどさ」
 うんざりしたように半眼になって、それでも村瀬は言った。
「でも、やっぱり、丸くなったよ。俺には理解できねえ部分のほうが多いけど、十有も、おまえくらい執着してくれないと安心できないんだろうと思うし――いい相手と会えて、よかったな」
 ふわっ、とうなじと胸が熱くなった。花賀屋は小さく咳払いする。
「珍しく、友人みたいなことを言いますね」
「優しいだろう」
「お節介なだけでしょう。……でも、ありがとう」
 祝福してもらえるのか、と思うと妙にくすぐったい。思えば、いままで一度だって、村瀬には祝福されたことがなかった。
「…………清士さん?」
 十有が眠そうな声を出した。ひそめていても話し声がしたからだろう。むくっと起き上がった十有にあわせて、猫も立ち上がると背伸びする。
「あれ? 俺、寝てた……?」
「すみませんね、村瀬のせいで起こしてしまって。ゆっくり寝かせてあげたかったのですが」
 花賀屋は十有に手を伸ばした。乱れてしまった髪を撫でつけてやると、十有は照れくさそうな顔をした。
「起こしてくれればよかったのに。寝るつもり、ほんとはなかったんだ。ちゃんと勉強して清士さんの仕事が終わるの待ってようって……でも、猫だっこしたら、眠くなって」
「素晴らしい寝顔を見られたので、私は楽しかったですよ」
 抱き寄せて額と頬にキスをする。十有は視線で猫を追いつつも素直に身体を預けてきて、花賀屋は耳にもキスをした。
「猫と一緒に眠っているきみはまるで天使のようでした」
「……天使はないと思う」
「この世にこんな美しいものがあるのかと感嘆して眺めていたんです。村瀬さえ邪魔しなければもっとゆっくり眺めていられたのですが」
「え?」
 脱力していた十有の身体が急にこわばる。「村瀬さん?」
 慌てて花賀屋を押しのけようとしながら顔を上げた十有は、すぐに村瀬を見つけて赤くなった。
「ごっ……ごめんなさい。俺、気づかなくて」
「村瀬は気にしなくていいんですよ」
 逃がさないように抱きすくめ、花賀屋は十有の唇をふさいだ。んっ、と呻く声を吸うように深くあわせて、舌を浅く入れると、十有は震えて目を閉じた。身体は硬いものの逆らうそぶりのない、従順な仕草に満足して離れると、村瀬は面相そうに立ち上がった。
「邪魔者は退散するよ」
「枇杷、一緒に食べていってくれてもいいですよ」
「やめとく。これ以上よけいなもの見せられたくないしな」
 一度しゃがんだ村瀬は、顔を洗っていた猫を撫でてやる。猫は愛想よくにゃーんと鳴いて、尻尾を立てたままかろやかに去っていった。
「ほら見ろ、猫も見たくないってさ。――でも」
「でも?」
「そういう浮かれてる花賀屋を見るのも悪くねえよ」
「……」
 花賀屋はこたえに窮して顎を撫でた。からかうような村瀬の笑顔が気に食わない。村瀬は花賀屋の顔を一瞥し、楽しそうに笑うと背を向けた。
「じゃあ、また近いうちに寄る」
「どうもありがとう」
 ため息まじりに返事して、ぎゅっと十有を抱き寄せる。十有は目を丸くして、まじまじと花賀屋を見上げていた。
「……清士さんが赤くなるとこ、初めて見た」
「赤いですか? まったく……村瀬がおかしなことを言うからです」
「俺、けっこう嬉しいかも。レアな清士さん」
「大人をからかうものじゃありませんよ」
「からかってないよ。……ふふっ」
 こらえきれないように笑って、十有が抱きついた。珍しく素直にすり寄られて、花賀屋もつられるように顔をほころばせた。
「猫と一緒にお昼寝して、猫みたいになりましたか?」
「だって……なんだろ。楽しい、みたいな」
 花賀屋の胸に顔をくっつけて、十有は言葉どおり楽しそうだった。花賀屋は目を細めて淡い色の髪を梳いた。
 たしかに、一流のカメラもいいけれど、スマートフォンのカメラもいいかもしれない。今この瞬間にも、十有が初めて見せてくれる表情があるのだから、残しておく手段はなんでもいい。
「きみが楽しいなら、なによりですよ。……村瀬の枇杷は少し冷やしておいて、さきに昼食にしましょうか」
「うん……」
 返事をするものの、離れたくなさそうに回った腕はほどけない。花賀屋はそっと唇を寄せた。
「もちろん、もう一度キスしてからですよ」
「――うん」
 はじらうように目を閉じて、十有が唇を差し出す。今度は最初から深く舌を差し入れて、できることなら、と花賀屋は願う。
 夏も秋も冬も、縁側で十有とキスしたい。十有が楽しくくつろいでくれる場所で、幸福な記憶を積み重ねて、その記憶そのものが楔になればいい。彼という宝を自分につないでおく、甘やかな楔に。    





END



プラチナ文庫『愛傷コレクション』のおまけSSです。
本編後のお話。
攻の花賀屋さんはいわゆる執着攻で、受が逃げそうになる、拒むなどの兆候があるとヤンデレ化する人ですが、裏を返すと愛情深い(ただし行きすぎている)人でもあり、かつ、わりと「いい人」なのかなあと思います。単に歪なだけではないような気がするなと、書きながら思っていたので、おまけSSはこんなお話になりました。
書店さんの特典SSはいかにも執着です〜!という内容だったので、ブログでは違った雰囲気を楽しんでいただけたら嬉しいです。


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