すきとおる
(「したたる恋の足跡」おまけSS)








 これで全部? と、紙袋を抱えた千空が見上げてきて、澄見孝多郎は車のドアを開けながら頷いた。
「薬局も寄ったし、あとは帰って飯の支度だな」
「澄見のごはん久しぶり」
 大きな目をまばたいて笑う千空から荷物を受け取って荷台に載せると、代替わりしたアレックスの車の荷台はいっぱいになる。「誰がおまえらに協力してやったんだよ」と偉そうな顔をしたアレックスに、ここぞとばかりにあれもこれもと買い物を頼まれたのだが、言われたとおり、一週間くらいならなんでもやるつもりだった。
 目を細めると、千空がかすかに頬を染めた。
「なに?」
「いや、よかったなと思って」
 アレックスが思った以上に千空を好きでいてくれているのが、澄見には嬉しかった。手を伸ばして、千空のやわらかい髪を一度だけ撫でる。
「アレックスと千空の仲がいいのは、千空がいい子だからだな」
「……そんなにいい子じゃないよ」
 今だって、と千空が目を逸らして拗ねたように呟く。耳が桜色に染まっている。今だって、にはたぶんキスしたいとかぎゅっとしたいとか、なにか可愛い台詞が続くに違いなく、望むままキスしてやれればいいのに、と澄見も思う。だが、そういうことばかりしたら、千空が勘違いしてしまいそうで、澄見がいやなのだ。
 ほかの、誰とも同列にしたくない。
 そう言ったら、アレックスをはじめとした澄見の友人たちは呆れた顔をするだろうけれど、そう簡単じゃないんだ、と澄見としては言い訳したかった。簡単にいかないのは、どう考えても大人である自分のせいではあるのだが。
「帰ったらな」
 そう言って運転席に乗り込むと、千空は拗ねた顔のまま助手席に座った。
「昨日から全然してないよ」
「帰ったらする」
「……ほんとに?」
「約束するよ」
 エンジンをかけて苦笑すると、千空はきゅっと俯いた。やがて、
「……はしたないと思ってる?」
 心細げな声がして、澄見は痛いような愛しさにかすかに笑った。
「思ったことないさ」
「ほんとに?」
 好かれたくて怯えて震える生き物を、本当は毎日でも組み敷きたい。そうしないかわりに、澄見は手を横に伸ばした。千空の髪を撫で、キスのかわりに唇に指で触れる。
 ひくりと震えた千空はそれきり黙り、車を下りる前に澄見が引き寄せたときまで、ずっと頬を赤くしていた。



 その夜、アレックスの好きなメキシコ料理を三人で食べたあと、澄見がシャワーを浴びてリビングに戻ると、千空はソファーで眠っていた。
 向かいに座ったアレックスが、口元に指をあてて「静かに」とジェスチャーし、自分の隣に澄見を呼ぶ。澄見はビールを二本出して、片方をアレックスにわたした。
「チヒロ、疲れちゃったみたいだな。珍しい」
 昨日の夜もよっぽどひどくしたのかよ、とアレックスが冷めた視線を向けてきて、澄見は首を横に振った。
「昨日はしてない。ただ、千空は眠らなかったかもな」
「わかってたならしてあげれば」
「そんなわけにはいかないだろ。身体目当てみたいに、欠片も思ってほしくないんだ」
「ばっかじゃねえの、チヒロの場合逆じゃん」
 声をひそめたまま、アレックスが眉をつり上げる。「ずーっとスミに好かれたくて一生懸命だったんだから、両思いになったんならケチケチしないでセックスしなよ、男らしくないな!」
「できたら俺もそうしたいよ」
 ビールを口にしても、あまりおいしくは感じられなかった。苦いな、と思いながら呷ると、「したいのかよ」とアレックスがますます顔をしかめた。
「だったらやればいいじゃん。ちょっとくらいの音と声なら我慢してやるから」
「そういうわけにもいかない」
「なんで」
 睨むような目つきで見据えられて、澄見は少しのあいだ黙った。アレックスに、自分の過去をきちんと話したことはない。聞いて楽しい話でもないから、乞われないかぎりは口にしたことはないのだが。
「――千空が子供でいるあいだも、早く子離れしなきゃいけないと思っていても、ずるずる離れられなかったんだ。知ってるだろ」
「そりゃまあ、見てたけど」
 不服そうに唇を尖らせるアレックスに、澄見は笑ってみせた。
「恋人になったら、次はどうなる?」
 笑う以外の表情が思いつかないのは、こういうときの常だった。ビールの瓶を握りしめ、澄見は自分の中からなくならない、暗雲のような黒い塊を意識する。蠢いて、ともすれば膨れ上がりそうになるそれを無視することはできない。
「千空を――殺してしまわないか、って思うんだ。いつか、俺もそういう衝動にかられるのか、って、鏡を見る度に思う」
 向かいで眠る千空は無防備で、綺麗な顔をしていた。淡くひらいた唇は幼さと同時に色気が滲んでいて、まっすぐな瞳のかわりに、今は睫毛が目立っている。
「そうなったら、千空が「いいよ」って言うだろうってわかるから、できるだけ自制しておきたい」
「……ほんとにめんどくさいなー」
 がりがりと、アレックスが頭をかいた。ビールを勢いよく飲んで、背中をソファーに預ける横顔は、苛立ちが窺えた。
「どっちにしろ、我慢してるチヒロが可哀想だよ。見てよ、時計だってはめたまんまだ。聞いたらおまえがあげたんだってな、あの時計」
 眠る千空を眺めながら、アレックスが言う。言葉どおり、お腹の上にゆるく置かれた千空の手首には、澄見の贈った時計がはめられている。
「せめて、言ってあげなよ。愛してるよ、って。怖くなるくらい愛してるって言ってやったら、チヒロだってちょっとは安心するよ」
 ぶっきらぼうで怒ったようなアレックスの口調に、いいやつだなあ、と改めて思った。千空が素直でオープンなのは、アレックスのおかげも大きいのだろう。なれ合いなんてごめんだよ、と言いながら、アレックスは一度だって、澄見たちの来訪を拒んだことはない。
「ご忠告感謝するよ。そういうおまえはどうなんだ、彼氏。千空が来る前は半分同棲してたんだって? 呼び戻さないのか」
 幸せになってほしいな、と思いながら話を振ると、アレックスは思いきりいやな顔をした。
「俺の話してる余裕なんかスミにはないだろばーか」
 アレックスは不機嫌な顔で言い捨てる。「あっちはもともとノンケだもん。ほっといて」
「いつでも相談に乗るぞ。お礼に」
「絶対しない。スミなんかさっさと寝ちゃえ、チヒロ抱っこして寝ちゃえ」
 クッションを投げつけられて、澄見は苦笑して立ち上がった。会ったことのないアレックスの「彼氏」が、アレックスのこういうところを可愛く思ってくれているといいのだが。
「じゃあ、おやすみ」
「……おやすみ」
 ふてくされた声を背中に聞きながら、よく眠っている千空の肩に触れる。背中と膝裏に手をまわして抱き上げると、小さく声をもらしたが、それでも起きる様子はなかった。
 澄見に抱き上げられるのに慣れきったその反応に、ちりちり胸が焼けた。愛しい。髪の毛一本まで、あまやかしつくしたい。
 いつか、そんなふうにできるだろうか。
 そっとベッドに下ろすと、千空は眠ったままかるく眉を寄せ、寝返りを打った。横向きになった千空の前に澄見も身体を横たえると、猫のようにすり寄ってきて、額が胸に押しあてられる。
「……す、み」
 つたない声が呟いて、澄見はそっと千空を抱き寄せた。愛してるよ、と呟いてみる。どんなにやるせない日でも、なにもかもが灰色に思えるときでも、千空だけは、雲の上にはてなく広がる透明な空のように、いつだって――たったひとつ、澄見に純粋な気持ちを思いおこさせる。
 なくして、二度と手にしないはずだったそれは、澄見にとってかけがえのない宝物だ。
 






END



後日談です。
本編は千空視点ばっかりだったので、読み終わった後のおまけといったら澄見視点かなという、SSでした。 澄見はある意味で臆病でもあり、ずるくもある大人なので、攻としてどうなんだ……と思うのですが、それでもいつかちゃんと(二人で)乗り越えるんじゃないかなーという期待をこめて。
皆様に、嫌われてないといいんですけど(笑)



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