考えてみれば酒造りというのは
不思議なものです。
現在では,日本酒の醸造で腐敗や
酸敗などの異常が起こることは,
極めて希なことですが,その安全
性のかなりの部分は酒母と言われ
る「もと」 の仕込時に,優れた
酵母を大量に添加するという技術
に支えられています。
しかも,その技術そのものは,酒
造りの永い歴史から見たら決して
古いことではありません。
しかし,酵母についての知識以前から酒造りが,かなり完成度の高い技術であった
ことも事実です。その基本は,結果的には,酒造りの全工程を通して酵母の優位性
を保つことでした。そのような目的から,酒造工程が酒母造りと醪造り の二つに分かれたと考えれば,健全な酒母を造ることが,先ず第一の目標
であったものと考えられます。
健全な酒母とは,醪を健全に発酵できる酒母であり,現在の 知識では,優れた酵母を純粋培養させたものでなければなりません。
しかし,その基本的な技術が微生物に対する知識以前に確立されたことを考えれば,
特別な殺菌工程を経ずに,工業的規模で酵母の純粋培養をなしとげた先人の苦心と功績に驚嘆せざるをえません。
酒母(しゅぼ)は酒になる醪(もろみ)を発酵させる「もと」になるものです。一般的に言って物を腐敗させる細菌は低温と酸性を嫌います。食品を冷蔵庫に入れたり,おにぎりに梅干しを入れたりするのは,その原理を応用したものです。酒造りはそれを逆手にとって冬の寒いときに造りますが,問題はどのようにして酸性条件を作り出すかです。
今では乳酸を添加すればよいことがわかっていますが,昔はそのような知識も手段もありませんでした。しかし,蒸米と米麹と水を混ぜて寒いところに置くと,次第に酸っぱくなってくるのです。それは原理的には古くなった漬け物が酸っぱくなるのと同じです。自然に乳酸菌が増殖して乳酸が生成されるのです。
戦後物資不足の時,あちこちで「どぶろく」が造られました。うまくいけば,かなり良いものができますが,失敗した「どぶろく」の多くは酸っぱくなります。しかし,その酸っぱさに実は重要な意味があるのです。
そのまま飲む「どぶろく」としては確かに失敗でしょう。しかし,酸っぱくなると言うのは乳酸酸性になることですから,雑菌の増殖阻止に役立ちます。そこで,徹底的に酸っぱくしてしまうのです。幸いなことに酵母は酸性で増殖が可能です。
やがて酵母が増殖してアルコールが出てくると,乳酸菌は死んでしまいます。しかし,できあがったものは,渋くて酸っぱくて飲めるものではありません。つまり,初めに造ったものは飲むためのものではなく,飲むための醪をつくる「種」として使えば良いのです。これが酒の「もと」なのです。「もと」の中に含まれる乳酸と冬の低温が日本酒の醸造を安全に導きます。
日本酒を造るのに,どうしても必要なこの乳酸を自然の乳酸菌に頼るのが「生もと」です。
いろいろな微生物が数多く存在する米麹と井戸水 を用いながら,日本酒の醸造が安全に行われてきたことは驚異的な事実です。
生態学は簡単に言えば環境と生物間の関わりを調査研究する学問ですが, 微生物生態学を学んできた私にとって,「生もと」は魅力
あふれる研究対象です。
この「生もと系酒母」育成中に展開される微生物群の壮大なドラマを皆さんにも知っていただこうかとホームページを作りました。
分かりやすさを念頭に解説を試みたのですが,事柄上どうしても専門的になってしまいました。
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