富士山
ふじさん

3,776b 2002.07.30
2004.06.13


05:30 五合目登山口 14:10
10:20 久須志神社 11:40


日本一の山に以前一人で登ったことがあった。いつもは夫と一緒に登るのだが、 富士山は2〜3度登っているのでもう行かないと夫は云う。しかたなく一人で出かけたのだ。 ところが8合目にさしかかったところ、にわかに天気が崩れ雷と突風と雨になり、 足元の岩に雷が光る。急いで小屋に入り、雷が通り過ぎるのを待っていたが、 強風は止まず、そのまま雨の中を下山したことがあった。今日は夫が出張で留守。天気は日本中快晴で、 晴天は4〜5日続くと天気予報は云う。 そうだ、富士山に登ろうと7月末富士登山に出かけた。

新宿から16:50発の高速バスで吉田口五合目に向かう。満員のバスは3分の一ほどが外国人で、 五合目に着くとみんなサーッといなくなった。 バス停前の雲上閣に泊めていただく。シーズン中なので混んでいるだろうと思っていたが、 他に宿泊者はいなく広い部屋にのびのびだが、 夜中そして早朝から車の動きが聞こえ寝付けなかった。
5:15分作っていただいたお弁当をもって出発。バス停より馬や馬車が行き交う広い道を進む。 朝からぬけるような青空で、今日はバッチリ頂上に到着できると朝の美味しい空気を吸いながら晴れ晴れと歩く。 登山口の大きな標識が出て、右の樹林の登りになる。

登山口 山小屋のフトン干しを見ながら 7合目

石のゴロゴロした道を登るとすぐ6合目、雲海荘に着く。樹間から抜け出て展望が一気に開け、 ここから先は木はなく岩の多いザクザク道の登りとなる。右上の方に続く登山道の頭上には山小屋群が見え壮観だ。 7合目最初の山小屋に着いたが次々と山小屋は現れて7合目だけで7軒もある。今日は久し振りの晴天のようで、 各々の山小屋はフトン干しに忙しく、ズラリとならんだフトンの列を見上げると富士登山の感じがまるでない。 登っている人も少なく、とても静かな富士山で、20分ごとにある山小屋の狭い通路を挟んでおかれたベンチには、 座っている人もまばらである。暖かい日射しを受けてベンチに寝転がっている人もいる。

7合目最後の小屋でのんびりとお弁当を食べながら40分程展望を楽しむ。富士五湖や丹沢の山々を眺め、 先程から下山道をブルトーザーが砂礫の急斜面を登っているのを見る。 やがて岩の道になって、以前この辺りから戻ったことを思い出し、溶岩の急登を進む。溶岩層の断崖も迫ってきた。 須走り口登山口と合流し本8合目に着いた。山小屋のお兄さんが下りて来た。 ここは上りと下りと同じコースなのかなと思っているとお兄さんが「92才のおじいさんが富士登山にチャレンジしているので、 この下の小屋まで荷物を取りに行くところ」と言う。おじいさんは身一つで登り、 荷物はそれぞれの小屋の人に運んでもらうのだという。 それにしても凄いパワーだ。5〜6才の孫と二人で登っている人もいる。

砂礫を登るブルトーザー 9合目


登山道は砂礫が多くなりズルッと滑りやすく、次々と現れる山小屋を通り抜ける。 7〜8月の富士登山は混雑で人でつかえ10〜20a間隔で進むと聞いていたが、 それは山小屋に泊まって夜歩く人達のことだろうか。富士山はゴミできたない山とも聞いていたがとんでもない。 ゴミひとつ落ちていない。だんだん傾斜がきつくなってくる登山道から振り返って、 雄大でダイナミックな展望、そして富士山の傾斜の線は本当にきれいで、 やはり日本一の山だと実感しながら9合目鳥居をくぐる。頂上が手の届く距離になり、 一気に最後の石段を駆け上がる。石段の上は久須志神社の正面で、山頂に着いた。10:20分到着。

山頂は神社やたくさんの山小屋が建ち並び、パラソルも開いていて縁日のようだ。ここが富士山の山頂とはとても思えない。 先程7合目でみたブルドーザーが丁度到着し、 神社に荷物を運び始めた。5〜6人の登山者しか歩いていなく、人恋しく、下から登ってくる人を眺める。あたりが急に暗くなる。 あんなに青空が広がっていたのに一面の雲になってしまった。おなかが空いたのでラーメン(¥800也のインスタントラーメン)を食べ、 コーヒーを飲んで下山する事にした。 測候所のドームを見ながら下山道を下る。深い砂礫の急な下りで、リズムをつけて下る。雨が降りそうな空模様だったが、 7合目あたりの立派なトイレ休憩所に着く頃、又、先程の青空が広がってきた。

山頂の久須志神社 縁日のような頂上


富士山は人を飲み込んでしまうのだろうか。途中、登山者はあまりいなかったのにこの休憩所にはたくさんの人が休んでいる。 下りで足を痛めたのか倒れている人やマッサージをしている人、みんなゆっくりしていて、私も隅の方に座ったが落ち着かなく、 10分程休んで、又下りはじめる。 6合目雲海荘を通り抜け、登りと同じ道に合流して吉田口5合目バス停に向かう。何組ものたくさんのツアー登山者とすれ違う。 馬や観光客の散策や急に人達の往来が多くなり、バス停広場にたどり着くと大勢の人や車でごった返し、目が覚めたような気がする。 コインロッカーに入れておいた荷物を出し、着替えをして16時の新宿行きの満員のバスに乗る。 バスは予定より20分遅れで新宿に着き、そのまま電車に乗って羽田に直行し、20時発の札幌行きの飛行機に飛び乗った。



2年経った平成16.6.13日、又、富士山に登った。 2年前、久須志神社からそのまま下山してしまった。あとで、やっぱり剣が峰まで行けばよかったと、 何かすっきりしない思いが残ったので、再び登ることにした。まだ山小屋はしっかり閉じていて、 山は静寂そのものであったが、それでも10人程の登山者に出会い、その半数は外国の人だった。富士山は誰の所有物か。 勿論、日本国のものだと思っていた。ところが、そうではなく8合目から上は浅間神社のものだという。 8合目にさしかかったとき”ここからは浅間神社の領域”という石柱を確認して本当に驚いた。
八合目の浅間神社石柱



火口壁からの剣ヶ峰 山頂から火口底を見る 山頂の測候所(日本最高点) 山頂を回って、久須志神社を見る


長い裁判の結果最近になって、8合目から下は日本国が上は浅間神社の所有になったという。 ちなみに8合目から上の小屋は浅間神社に地代を払っていると聞いた。富士山を見る目が違ってきたような気がしながら、 9合目を過ぎ、最後の石段を登ると久須志神社の前に出た。今朝方雪が降って、 うっすらと雪化粧した山頂は、2年前と同じ景色で、あの時はこの間を通り抜け下りてしまったなと思いだす。 神社の前方にあるベンチの雪を払いのけてゆっくりと座る。台風がフイリッピン沖に発生、日本にむかって北上中というが、 雲の動きが速いだけで、風もなく、見下ろす雲の上から飛び出た山の頭が見えたり、雲の間から里も垣間見え、再び、 この場所に立てて本当にうれしい。いよいよ山頂をぐるりと回って、剣が峰に向かうことにした。 久須志神社の右側を曲がって尾根を進むと、富士山の山頂の全景が大きく現れた。

落差が200bもあるという火口底の縁は、アップダウンの登山道がのびやかに広がり、 一段と高く剣ヶ峰が黒いシルエットのように見える。ゆるやかに下って、上って、あれが金明水かなと思い、 右側にまた火口底が現れて、水がたまって池のようで、薄日にあたってキラキラ光る。ちょっときつい上りを登り切って、 辺りを見渡すと、深く、黒黒とした火口底に吸い込まれそうになる。恐ろしく、そしてあまりの静けさに鳥肌が立つ。 荘厳な気持で剣ヶ峰に到着。3,776bの標識と測候所の建物や三角点標識があり、意外にもここは二等三角点だった。 山頂の測候所施設の階段を登るとあそこが日本の最高点だなと思うが、チィエーンが二重にまかれ、 立入禁止の表示があり登ることは出来なかった。日本で一番高い場所の実感を味わいながら、 10分程ウロウロ眺め、又、久須志神社前まで戻った。丁度、ぐるりと回ってきて一時間位かかり、 満足な気持ちで富士吉田へと下った。





2007.9.21

昔から信仰の山として崇められてきた富士山。毎年一回は登るようになって4年経った。今年こそ、 室町時代から多くの人が富士山に登拝していたという登山道を一合目から登ってみようとチャレンジした。 まず浅間神社を訪れた。富士山を信仰し登山する関東地方の人々は、 甲州街道を西に進んで上吉田に至る富士道を通るのが一般的で、北口登山、今の富士吉田口でした。 江戸時代には浅間神社の麓には、最盛期86軒の御師宿坊が存在し、富士山を信仰する冨士講は組織化され,信仰者が急増し、 江戸末期には江戸八百八町に八講といわれるほど隆盛をきわめた。 その富士登山北口の出発点がこの浅間神社で、富士山への最終目的は山頂に登り、そこから火口を拝むことで、 山頂に至るまでの間には、場所ごとに神仏が設置され、登山者は身を清め、登山道をたどって頂上をめざしたという。


浅間神社.富士北口登山石柱 吉田口遊歩道入り口 馬返しすぐ上の大日如来社


浅間神社本殿の右奥に富士北口登山本道の石柱がある。その前を通り、境内から道路に出て7分程歩くと右側に入って吉田口遊歩道入り口がある。 吉田口遊歩道から本格的な登山になる馬返し地点までは中の茶屋を通って7.5`の道程。 この馬返しまでは車道からつかず離れずの距離で遊歩道が続いている。浅間神社から約2時間の歩きで馬返し(1435b)に着く。 馬返しとは、この先は道が険しくなって、馬はここから引き返したので馬返しの名がついたという。 簡易トイレが置かれた馬返しの広い駐車場には、昔の富士参拝の絵が書かれた案内版があり、昔の富士登山の様子を想像したりする。

富士山は麓から頂上までの間、草山、木山、焼山と三区分され、馬返しは草山と木山の境にあたり、富士山の信仰領域の基点となった場所で、昔はここに茶屋があり、人々はここで身支度を整えて、富士登山に臨んだのだという。ゆるやかな階段を登ると大日如来社がある。 富士山の神である浅間明神は仏でいうと大日如来にあたるという。ここに富士山禊所と彫られた高い石柱が建っている。、これより富士山の領域に入る為、お祓いをうけ、身を清めて山頂へ向かったという説明文を読み、右に曲がると登山道が始まる。馬返し9時04分出発


一合目 二合目 三合目


一合目(1515b) すぐに昔の登山道のような雰囲気になった。大木の樹林帯に覆われた登山道は暗く、 時々こもれる日の光がまぶしい。涼しい風がとても気持ちよく、10分程で1合目に到着する。 鈴原天照大神社と書かれた建物が登山道沿いに建っている。かなり荒廃しているが閉められているので、中の様子はみえない。凹状になった登山道に雨水の筋道が深くえぐれたりしているが、自然道を歩くのは気持ち良い。
二合目(1720b)  御室浅間神社がある。ここは富士山の中で最初に建築された神社であるというが、御社は朽ち果てた状態で残っている。江戸時代まではここから先は女人禁制になっていたのだという。やがて、階段状に修復された道になり、ゆるやかに20分程のぼると、3合目に到着。
三合目(1840b)  ベンチがおかれた広々とした休み所になっている。江戸時代から茶屋(山小屋)が二軒あったが、古くから三軒茶屋と呼ばれ、案内板には当時のお茶屋さんの様子が描かれている。昔の人々もここで休んだのだなと思いながらお茶屋さんの様子を忍んだりする。道筋に建物は残存しているが、荒廃していて痛々しい。


気持ちの良い登山道 四合目 御座石の説明文


四合目  大黒天像を祀っていたことから、大黒小屋と呼ばれた茶屋が一軒あった。大黒天は福の神として冨士講の人々に信仰されていた。だが今は当時を忍ばせる物は何もなく、古い木材がいくつか重なっているだけの広場で、ここには三合五勺の石柱があった。
四合五勺(2050b)  見晴らしの良い場所に出た。ここには御座石がある。御座石とは、神の依り付く石で、古い時代における女人禁制の場を象徴するものであった、と記してある。そして五合目焼印所と書かれた井上小屋が建っている。樹木の中の静かな登山道にはまだ2軒ほど廃墟があった。目の前に柵が現れ立派な舗装道路にぶつかった。 登山道がなくなったのでそのまま車道を5〜6分歩く。 カーブした車道を回り込むと右側に登山道があり、ホットして山道に入り暫く歩くと又、先程の車道にぶつかった。 今度は目の前に登山道が見えるので、車道を横断する。登山道入り口には五合目の石柱が建っている。そして登るとすぐ上が佐藤小屋だった。


四合五勺の井上小屋 登山道脇の廃墟 五合目の佐藤小屋


五合目  佐藤小屋(2230b) 11時16分到着。ジュースを一杯飲み、そのまま100b上の六角堂ヘ進む。
六合目  天地の境、(2325b)  日蓮上人と六角堂の仏堂がある。 昔、富士山は神仏混合の信仰の山であった名残が残っている所で、ある時から仏教が廃しされ、 神道の神社だけが祀られるようになったという。 ここから65bほど登ると、富士スバルライン五合目からの登山道と合流する2390b地点になる。そして、 それから上はいつもの富士登山道で頂上に至るのだが、今日は9月21日。東洋館は営業しているというが、 このまま下山して、明日改めて5合目から日帰り登山をしようと思い、佐藤小屋の方へ戻ることにした。

佐藤小屋でウドンを食べ、12時30分下山を始める。登っているときは2人の登山者しか会わなかったが、 下山を始めてすぐに、富士吉田の小学6年生の遠足に出会う。毎年1合目から6合目まで登るのが慣例だそうだが、 地元の自然に慣れ親しむのは本当に良い教育だと思う。そして、先生にこの登山道が、 4年先の”世界文化遺産に登録される道”であると教えて頂く。又、この登山道は文化庁の”日本の歴史の道”100選にも選ばれているのだそうで、やっぱり登って良かったと、静かな富士山の麓を楽しみながら、馬返し14時20分到着する。


吉田口遊歩道→ 馬返し→ 1合目→ 2合目→ 3合目→ 4合目→ 4合5勺→ 5合目→ 合流地点(2390b)
6:50 9:03 9:13 9:38 9:57 10:25 10:35 11:16 11:41