鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉初詣特集 鎌倉江の島七福神



江の島の奉安殿
〜江の島弁財天〜

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







江の島弁財天


 江島神社辺津宮にある八角の堂。

 神奈川県の有形文化財に指定されている「八臂弁財天」と、裸弁財天として知られる「妙音弁財天」を祀るために1970年(昭和45年)に建てられた。

 そもそも弁財天とはインドの河の神で、水神として祀られてきた。

 やがて、言語(弁才)の神として信仰され、さらに財宝をもたらす幸福の神とされるようになったいう。

 江の島弁財天は、鎌倉・江の島七福神 藤沢七福神めぐりの一つ。 





☆伝説!江の島縁起☆

 昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し悪行をやめさせた。五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したという。

 藤沢の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたと伝わる。また、天女の天下りとともに出現した島が江の島と伝わる。

 平成13年には、五頭龍を祀る龍口明神社の神輿が、弁財天を祀るのが江島神社に渡った(御鎮座1450年大祭)。


江の島灯籠〜天女と五頭龍〜
江の島縁起「天女と五頭龍」
(江の島灯籠)



〜八臂弁財天〜
(木造彩色弁才天坐像)

 頭上に宇賀神をいだき、八本の腕(手)には、弓・矢・剣・宝珠・輪宝・矛・長杵・鍵棒を持っている。

 源頼朝が、奥州平泉の藤原秀衡調伏のために、文覚に命じて勧請したと伝わるもので、八臂弁財天としては、もっとも古い部類に属する。

 1513年(永正10年)に彩色修理が施されていることが墨書銘によって判明している。





毛越寺
奥州平泉の旅
江の島源頼朝の鳥居
伝源頼朝寄進の鳥居
(奥津宮)



〜妙音弁財天〜

 俗に「裸弁財天」と呼ばれるとおりの裸像。

 女性の象徴を全て備えた尊像で、鎌倉時代中期の作と考えられている。

 裸像は鎌倉時代の特徴的な彫刻手法で、青蓮寺の鎖大師や延命寺裸地蔵などの傑作が残されている。

 鶴岡八幡宮弁財天像(鎌倉国宝館寄託)も裸像として知られている(参考:旗上弁財天社)。


裸弁財天


裸形彫刻の仏像



江の島中津宮不老門
不老門再建記念碑


 奉安殿の2つの弁財天は、かつては中津宮に安置されていた。

 かつての中津宮には竜宮の楼閣「不老門」があって妙音弁財天はそこに置かれていたのだという。

 明治の廃仏毀釈の運動の中で破壊されそうになったが、その難を免れている。







〜男女で参拝すると別れる・・・
という噂?〜


 江戸時代には、大山江の島の二所詣が盛んに行われるようになった。

 そんな中、「男女で弁財天に参拝すると弁天様に妬まれて別れる」という噂がたてられるようになる。

 しかし、これは旅先での開放感に浸りたい旅人が、保土ヶ谷宿などで遊興するために、女性同伴を嫌ったことから生まれた噂である。


大山寺
大山寺



〜円覚寺洪鐘と江ノ島弁財天〜

 北条貞時は、七日七夜江ノ島弁財天に参籠し、円覚寺梵鐘(洪鐘)を鋳造したと伝えられる。

 それに併せて鐘楼前に弁天堂を建立した。

 円覚寺の弁財天は61年ごとに開帳されている。


円覚寺洪鐘
円覚寺梵鐘(洪鐘)




江の島散策

その1:江の島弁天橋〜青銅鳥居〜辺津宮

その2:中津宮〜御岩屋道通り

その3:奥津宮〜稚児ヶ淵〜岩屋









江島神社
江島神社

 江島神社は、欽明天皇の勅命で岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。
 現在は、辺津宮中津宮奥津宮からなる。


江の島
江の島

 江の島は、砂が堆積して湘南海岸と島とが陸続きとなった陸繋島
 鎌倉時代には源頼朝が弁財天を勧請。
 江戸時代には、大山江の島の二所詣が流行し賑わった島。


江ノ電「江ノ島駅」から徒歩25分
小田急「片瀬江ノ島駅」から徒歩20分
湘南モノレール「湘南江ノ島駅」から徒歩27分






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