江の島は、周囲4キロの陸繋島(参考:
江の島〜いろいろな景色〜)。
かつては、島全体が神仏混淆の霊地として信仰を集めた。
江島神社は、552年、欽明天皇の勅命で、島の岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。海運、漁業、交通の守護神として祀られ、御窟(おんいわや)を本宮、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。
その後、神仏習合によって、金亀山与願寺という寺となる。
寿永元年(1182年)、
源頼朝が
文覚上人に命 じて、奥州の藤原秀衡調伏祈願のために弁財天を勧請したときをその創建とする説もある。
明治の神仏分離によって「江島神社」と呼ばれるようになった。安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされている。
現在の江島神社は、辺津宮・中津宮・奥津宮からなる(参考:
江島神社)。
辺津宮は、三代将軍
源実朝が建永元年(1206)に鎌倉幕府の繁栄を祈って創建した。
辺津宮の隣に建つ八角の「奉安殿」には、女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる「裸弁財天(妙音弁財天)」と、
源頼朝が
文覚に命じて勧請したと伝わる「八臂弁財天像」が安置されている。
奥津宮には、
源頼朝が寄進したといわれる石鳥居もある。
鎌倉幕府の創始に貢献した
北条時政は、江ノ島に35日間参籠して子孫の繁栄を祈願したといわれている。北条氏の家紋「三鱗(ミツウロコ)」は、その時現れた竜の鱗と伝えられている。