鎌倉手帳(寺社散策)

江 の 島
(江の島弁財天)


編集:岡戸事務所
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=湘南のシンボル《江の島》=


江の島弁天橋(江の島大橋)
 江の島へと渡る道路橋と人道橋の2つの橋
 江の島に桟橋が架けられたのは明治24年。
 道路橋は東京オリンピックのヨット競技のために架けられた。
 「かながわの橋100選」に選ばれている。

〜江の島に来たら・・・これくらい知って帰らねば・・・〜
江の島〜いろいろな景色〜  弁天橋(片瀬江ノ島駅) 江の島弁天橋・江の島大橋
江の島ヨットハーバー〜湘南港〜  聖天島  蟇石と無熱池  恋人の丘「龍恋の鐘」
片瀬漁港   片瀬の伝統文化:片瀬こま  江の島の初詣

慈悲上人良真の伝説1〜聖天島〜
慈悲上人良真の伝説2〜蟇石〜
江島霊迹建寺之碑(宋国伝来の古碑)
鍼師「杉山検校」と江の島弁財天
江の島の裏参道
江ノ島と源頼朝と弁財天
江の島散策
その1:江の島弁天橋〜青銅鳥居〜辺津宮
その2:中津宮〜御岩屋道通り
その3:奥津宮〜稚児ヶ淵〜岩屋




竜宮城を模して創られた御神門
瑞心門
 江の島は、周囲4キロの陸繋島(参考:江の島〜いろいろな景色〜)。
 かつては、島全体が神仏混淆の霊地として信仰を集めた。
 江島神社は、552年、欽明天皇の勅命で、島の岩屋に宮を建てたのがはじまりとされる。海運、漁業、交通の守護神として祀られ、御窟(おんいわや)を本宮、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。
 
 その後、神仏習合によって、金亀山与願寺という寺となる。
 寿永元年(1182年)、源頼朝文覚上人に命 じて、奥州の藤原秀衡調伏祈願のために弁財天を勧請したときをその創建とする説もある。
 明治の神仏分離によって「江島神社」と呼ばれるようになった。安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされている。

 現在の江島神社は、辺津宮・中津宮・奥津宮からなる(参考:江島神社)。

 辺津宮は、三代将軍源実朝が建永元年(1206)に鎌倉幕府の繁栄を祈って創建した。
 辺津宮の隣に建つ八角の「奉安殿」には、女性の象徴をすべて兼ね備えているといわれる「裸弁財天(妙音弁財天)」と、源頼朝文覚に命じて勧請したと伝わる「八臂弁財天像」が安置されている。
 奥津宮には、源頼朝が寄進したといわれる石鳥居もある。

 鎌倉幕府の創始に貢献した北条時政は、江ノ島に35日間参籠して子孫の繁栄を祈願したといわれている。北条氏の家紋「三鱗(ミツウロコ)」は、その時現れた竜の鱗と伝えられている。 

鎌倉・江の島七福神
藤沢七福神めぐり
祭神 奥津宮:多紀理比売命
中津宮:市寸島比売命
辺津宮:田寸津比売命

江ノ島と源頼朝と弁財天(okadoのブログ)

平成15年に完成した展望灯台




青銅の鳥居
 江ノ島の入口の青銅製の鳥居は、1821年(文政4年)に建てられたもの(最初に建てられたのは、1747年(延享4年))。当時の江ノ島は、弁財天信仰で賑わい、その象徴ともいわれた。
 鳥居の両脇から参道には、旅館が軒を連ねていたという。
 現在、藤沢市の指定文化財となっている。
 詳しくは写真をクリック 

◎江ノ島郵便局のポスト
 江ノ島の郵便ポストは、明治20年頃に使われていたポストを復元したもの。
◎岩本院(岩本楼)
 現在の旅館岩本楼は、かつては江島神社の総別当職を務めていた。



〜杉山検校〜
(すぎやまけんぎょう)
 江戸時代に活躍した「鍼師」。本名は和一(わいち)。「検校」(けんぎょう)という名称は、盲官の最高位のこと。
 和一は、幼いときに失明し、鍼医を学んでいたが不器用で上達しなかった。ある時、江ノ島の弁財天社に21日間籠もって祈願したところ、その満願の日に「福石」につまずいた。この出来事が「管鍼法」(かんしんほう)が生まれるきっかけとなったといわれている。
管鍼の技術を考案した和一は、徳川5代将軍綱吉の信頼を得て、鍼治療をした褒美に江戸本所一つ目に領地を得た。
 1693年(元禄6年)、綱吉の命により「杉山流鍼治導引稽古所」が設立されている。

◎福石
 江ノ島の弁財天で21日間の断食をし、祈願したところ、その満願の日、帰り道にこの石につまずいた。その時、体を刺すものがあったので確かめてみると、松葉の入った竹の管だったいう。この出来事が、管鍼(かんしん)の技術を考案するきっかけとなったといわれている。 

◎杉山検校の墓
 1689年(元禄2年)、和一は、関八州の当道盲人を統括する「惣禄検校」となり、本所一つ目の屋敷は「惣禄屋敷」と呼ばれた。
 1694年(元禄7年)、本所の私邸で亡くなり弥勒寺に葬られた。江ノ島にある笠塔婆型の墓石は、翌年、一周忌に際して、門人の三浦安一が建てた。
 墓の前の灯籠は、柳沢吉保室が寄進したもの。

◎江ノ島弁財天道標
 現在、藤沢市には、和一が建てた江ノ島弁財天道標が12基残されている。1966年(昭和41年)に市の重要文化財に指定された。
 写真の道標は、江ノ電「江ノ島駅」から江ノ島へと向かう「州鼻通り」のもの。
 参考:西行もどり松(江ノ島弁財天道標)


鍼師「杉山検校」と江の島弁財天




辺津宮

中津宮

奥津宮
社殿の詳細は・・・江島神社のページ

江の島の三宮と三坊
中世武家政権と江の島
妙音弁財天が安置された伝説の不老門

江の島の初詣



奉安殿
 辺津宮の隣に建てられている八角形のお堂。
 堂内には、源頼朝文覚に命じて造らせたといわれる「八臂弁財天」と、「裸弁財天」ともいわれる琵琶を抱えた全裸の「妙音弁財天」が安置されている。
 「八臂弁財天」は勝運守護の神として、「妙音弁財天」は芸能の神として信仰を集めてきた。
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鎌倉・江の島七福神
藤沢七福神めぐり

◎円覚寺洪鐘と江ノ島弁財天
 北条貞時は、七日七夜江ノ島弁財天に参籠し、円覚寺梵鐘(洪鐘)を鋳造したと伝えられる。それに併せて鐘楼前に弁天堂を建立した。円覚寺の弁財天は61年ごとに開帳されている。

☆伝説!江の島縁起☆
 昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し悪行をやめさせた。五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したという。藤沢の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたと伝わる。また、天女の天下りとともに出現した島が江の島と伝わる。
 平成十三年には、五頭龍を祀る龍口明神社の神輿が、弁財天を祀るのが江島神社に渡った(御鎮座1450年大祭)。

◎八坂神社
 腰越に祀られていた社が大波で流されため、御神体を漁師が拾い上げて、ここに祀ったものと伝わる。例大祭は、腰越の小動神社と同時に行われ、神輿が海上渡御する。

 天王祭・・・江ノ島八坂神社・腰越小動神社2011/07/10(okadoのブログ)





サムエル・コッキング苑
 長く江の島植物園として運営されてきたが、改修工事を行い、平成15年に開園した。
 園内にはサムエル・コッキングの遺構や江の島展望灯台がある。
 詳しくは写真をクリック

サムエル・コッキング苑のチューリップ
アオノリュウゼツラン・・・江ノ島の世紀の花
湘南キャンドル2011
湘南の宝石:江の島シーキャンドルライトアップ2011
湘南の宝石・・・江の島を彩る光と色の祭典
咲き始めた江の島ウインターチューリップ2012
バレンタインアイランド江の島2012



◎一遍上人の島井戸
 時宗開祖の一遍が遊行した旧跡で、島民を助けるために掘り当てたといわれる井戸。
 参考:一遍上人地蔵堂跡
◎江ノ島大師
 屋内にある像としては 国内最大級ともいわれる高さ6mの赤不動像が本尊として祀ら れている。

一遍上人の島井戸(okadoのブログ)

◎木食上人行場窟
 山ふたつの谷底には、木食上人(もくじきしょうにん)行場窟と呼ばれる洞窟がある。この洞窟では五穀を絶って木の実のみで生活する木食行が行われていた。
 木食行を行う者を木食上人と呼んだ。
群猿奉賽像庚申塔
 四面に36匹の猿が浮き彫りされた珍しい庚申塔。
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山ふたつ



〜奥津宮〜

◎八方睨みの亀
 江戸時代の画家酒井抱一が描いた「正面向亀図」。どこから見てもこちらを睨んでいるように見えることから「八方睨みの亀」と呼ばれている。現在、奥津宮の門天井に掲げられているものは復元図(原画は宝物殿)。
◎亀石(亀甲石)
 鎌倉四名石の一つ。別名を「蔵六石」。
(奥津宮)

◎力石
 江戸時代、日本一の力持ちといわれた卯之助(岩槻藩)が奉納したといわれる80貫(320キロ)の石。 弁財天の祭礼で力競技を行ったときのもの。
(奥津宮)
◎源頼朝寄進の鳥居
 養和2年(1182)、源頼朝は、奥州藤原秀衡調伏のため、岩屋に弁財天を勧請し、鳥居を寄進したことが吾妻鏡に書かれている。
(奥津宮)

江ノ島と源頼朝と弁財天(okadoのブログ)

◎龍神
 弁財天信仰と密接な関係にあった江の島の龍神。
 平成6年に岩屋の真上に位置する場所に鎮座された。
龍恋の鐘(恋人の丘)
 江の島弁財天と深沢の五頭龍の伝説にちなんだ鐘。第二岩屋の真上に位置する。
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山田検校の銅像  亀石(亀甲石) 伝源頼朝寄進の鳥居
八方睨みの亀  手水舎  龍恋ノ鐘  江ノ島と源頼朝と弁財天  北条時政の龍神伝説




◎稚児ヶ淵から展望
 稚児ヶ淵には、建長寺広徳庵自休和尚に見初められた稚児の白菊が、断崖から身を投げ、自休もその後を追ったという伝説が残されている。
 鎌倉西御門来迎寺では、最近まで、安置されている跋陀婆羅尊者像が自休の像だと思われてきたという。
 「江ノ島稚児ヶ淵」は、「かながわの景勝50選」に選ばれている。
 鎌倉では、「十王岩の展望」「光明寺裏山の展望」「稲村ヶ崎」が景勝に選ばれている。

稚児ヶ淵(okadoのブログ)  潮噴の碑〜芭蕉の句碑〜(okadoのブログ)

岩屋
 島の最奥部にある海食洞窟は、弘法大師や日蓮も修行したといわれ、養和2年(1182)には源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願したとも伝えられている。
 鎌倉大楽寺(廃寺)の願行上人は、ここで祈願し伊勢原大山寺の不動明王像を鋳造した。(参考:覚園寺
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江の島遊覧船・・・べんてん丸(okadoのブログ)

◎江島神社の紋(龍神伝説)
 北条時政は、江の島に参籠した際に現れた大蛇(竜)が落としていった3つの鱗を北条の家紋とした。江島神社の紋の起こりとなったと伝えられている。

 北条時政の龍神伝説(okadoのブログ)



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モース記念碑

湘南港〜江の島ヨットハーバー〜

江の島北緑地〜モース記念碑と噴水池〜(okadoのブログ)



児玉神社
 祭神は日露戦争で活躍した児玉源太郎。
 鎌倉に住み参謀次長だった児玉は、面会者を避けて江ノ島に閉じこもっていた時期があったという。
 児玉は、台湾総督として台湾の近代化に努力した人物でもある。
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雄の狛犬

雌の狛犬


 児玉神社の狛犬は、台湾の有志から贈られたもので、
口の中で玉が転がっている。





慈悲上人良真の伝説1〜聖天島〜
慈悲上人良真の伝説2〜蟇石〜
江島霊迹建寺之碑(宋国伝来の古碑)
鍼師「杉山検校」と江の島弁財天
江の島の裏参道
江ノ島と源頼朝と弁財天
遊行寺  白旗神社 龍口寺



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