鎌倉手帳(寺社散策)

鶴岡八幡宮例大祭 面掛行列



源頼朝配流の地蛭ヶ小島
静岡県伊豆の国市

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







蛭ヶ小島

 1159年(平治元年)、平治の乱で敗れた源頼朝は、平清盛に捕えられたが、清盛の継母池禅尼の命乞いで、翌年、伊豆国の蛭ヶ小島に流罪となった。

 実際は、伊豆国に配流とのみ伝わっているので、本当に蛭ヶ小島に流されたのかどうかは不明。

 伊豆国で約20年間を過ごした頼朝は、1180年(治承4年)、ついに源氏再興の兵を挙げる。

 (写真は蛭ヶ小島の頼朝と政子の像)


源頼朝 平清盛
伊豆国流罪の源頼朝と平清盛





 源頼朝が流されたという伊豆国の蛭ヶ小島は、水田の中にあった高地で、蛭が多かったことから付いた名といわれている。

 頼朝はここで父義朝の菩提を弔いながら、約20年を過ごした(参考:六萬部寺の経塚)。

 乳母比企尼らの援助などもあり、罪人とはいえ比較的自由な生活をしていたものと考えられている。

蛭ヶ小島 蛭ヶ小島

 蛭ヶ小島の一帯は、今でものどかな田園地帯。

 背後の山には戦国時代に韮山城が築かれている(北条早雲の居城)。



梛の葉の縁結びの碑
梛の葉の縁結びの碑

 源頼朝は、1177年頃には北条時政の娘政子と結婚した。

 2人は伊豆山権現の保護によって夫婦となることができたという。

 近世中期の投節の一つに、「こんどござらば持て来てたもれ、伊豆のお山のなぎの葉を」という歌がある。

 当時、「梛(なぎ)の葉」を鏡の裏に入れて「お守り」にすると願い事がかなうといわれていた。

 歌の中の「伊豆のお山」とは伊豆山権現のこと。

 (参考:源頼朝と北条政子の愛の証「梛の葉」



蛭ヶ小島頼朝・政子像
頼朝・政子の像
蛭ヶ島茶屋
蛭ヶ島茶屋



伊豆の頼朝
伊豆の国市子ども創作能
「伊豆の頼朝」

(鎌倉まつり)






〜八幡大菩薩と清水観音〜
(救われた頼朝と常盤の子たち)

 1159年(平治元年)の平治の乱後、源義朝の側室常盤御前は、今若(阿野全成)、乙若(源義円)、牛若(源義経)を連れて幼少の頃より信仰していた清水寺に参り、千手観音(子安塔)に三人の子の無事を祈願したという。

 『平治物語』(学習院本)には、常盤と三人の子が助けられたのは清水観音の力によるもので、源頼朝が死罪を免れて蛭ヶ小島に流罪となったのは八幡大菩薩(石清水八幡宮)の力によるものだと述べられている。

清水寺子安塔
子安塔
(京都:清水寺)
石清水八幡宮
石清水八幡宮
(八幡市)





〜源氏再興の挙兵〜

 1180年(治承4年)、以仁王の令旨を受け、8月17日挙兵

 平家の目代山木兼隆を討ち、相模に進出しようとするが、大庭景親の軍に阻まれ、石橋山の合戦で敗北する。

 しかし、土肥実平の手引きによって真鶴から船で安房(源頼朝上陸地)へと渡り、千葉常胤上総介広常らを従え、10月6日、鎌倉入りを果たす。

 1185年(文治元年)、平家を壇ノ浦に滅ぼし、1189年(文治5年)、奥州藤原氏を滅ぼして全国を統治する(奥州征伐)。

 1192年(建久3年)には、征夷大将軍に任命された。

 1199年(正治元年)、相模川の橋供養の帰りに落馬し、その怪我が原因で翌1月13日死去。


源頼朝の挙兵

以仁王の令旨


源頼朝特集・・・挙兵から鎌倉入り(okadoのブログ)







蛭ヶ小島
蛭ヶ小島

静岡県伊豆の国市四日町17−1

伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅から徒歩10分



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