後醍醐天皇が反幕の兵を挙げると、これを鎮圧するため京に向うが、途中で後醍醐天皇側につき、鎌倉幕府滅亡に貢献(1333年(元弘3年)5月7日、
六波羅探題を陥落させている。)。
北条高時から一字をもらって高氏と称していたが、後醍醐天皇より尊の字を授かり尊氏と称した。
鎌倉幕府滅亡後、1335年(建武2年)、北条時行が反乱(
中先代の乱)を起こすと、これを鎮圧し鎌倉に留まった。次第に後醍醐天皇との仲も悪化し、新田義貞が後醍醐天皇の院宣を得て鎌倉に向かったため、これを迎え撃ち、そのまま京へと上る。一時、後醍醐天皇を比叡山に追いやったが、北畠顕家らに攻められ九州に逃れる。
1336年(建武3年)、体制を立て直し再び京を奪い、建武式目を制定し室町幕府が成立する。1338年(延元3年)、北朝の光明天皇より征夷大将軍に任ぜられた。
浄光明寺で後醍醐天皇を裏切る覚悟を決めたといわれている。
長谷寺の十一面観音に金箔を施したのは尊氏。
長壽寺には尊氏の遺髪を納めたという供養塔がある。