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「北条政子」というと「鬼嫁」というイメージだが、子のことでは大変な苦しみを背負いながらその生涯を終えたと思われる。当時の高い位にある家の子育ては、実の母親が育てるのではなく、乳母がつき教育をする。政子の子らもそれぞれに乳母がつき育てられた。
長男の 頼家は、比企氏が乳母を務めた。その上 頼家は、比企氏の娘と結婚したことから、余計に実母政子との縁が遠くなった。政子は、「愛」に関して、もの凄く真直ぐな女性で、 頼朝の浮気相手の家を「叩き壊す」というような嫉妬丸出しの行動を平気でとれる女性でもあったため、息子への愛も重過ぎるものがあったのかもしれない。それが「比企憎し」に発展してしまったのではないだろうか。最終的には、その「比企憎し」が、 頼家を追放し暗殺しなければならなくなる。
次男の 実朝は、 頼家の子公暁によって暗殺される。
公暁は、 実朝と北条氏を「親の仇」として生きていたと思われるが、公暁を哀れに思った政子は、京に僧としての修行に出したり、 鶴岡八幡宮寺の別当に就任させるなど、随分と世話をしたようである。
しかし、それが公暁に絶好の「敵討ち」のチャンスを提供してしまったのかもしれず、さらには夫 頼朝の源氏政権をたった40年余で終らせてしまったのかもしれない。
悲運な生涯を終えたのは息子たちだけではない。長女と次女についても時代の大きな流れの中で亡くしている。
長女の大姫は少女のころ、木曽義仲の子で鎌倉に人質として送られてきた義高になつき、婚約までしていた(結婚していたともいわれる。)。しかし、その義高を殺害する命令が 頼朝から出されたため、大姫は密かに義高を逃がしたのだが、すぐに捕らえられて殺されてしまった。大姫は生きる気力を失くし、長い間病気を繰り返し、最終的には自殺してしまったともいわれている(参考: 木曽義高の誅殺)。
次女の三幡は、天皇に嫁ぐことがほぼ決まっていたが、高熱を発し、京より招いた医師に診てもらったものの助からなかった。この死には、京の医師が上皇に命ぜられ毒を与えたとの説もある。
いずれの子らも権力争いに巻き込まれ死んでいった。 頼朝も亡くなり、子も亡くした政子はどのような心境だったであろうか。愛が空回りした一生であったと後悔したのだろうか。伊豆の田舎で暮らしていれば、このような不幸には見舞われなかったはずだ。
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