鎌倉手帳(寺社散策)


頼朝の妻北条政子


編集:岡戸事務所
カスタム検索


〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=頼朝の妻「北条政子」=

源頼朝の正室北条政子の父は北条時政
子は頼家(長男:二代将軍)・実朝(次男:三代将軍)・大姫(長女)・三幡姫(次女)。
兄弟姉妹は宗時(兄:石橋山の戦いで討死)・義時(弟:二代執権)・時房(弟)・阿波局(妹)など。


 頼朝亡き後、北条氏は梶原景時の追放比企能員の暗殺、頼家追放・暗殺畠山重忠の殺害と北条が実権を握るために邪魔な存在を亡きものとしていった。
 畠山重忠殺害後、政子・義時姉弟は父時政を追放し、和田一族を滅ぼし、ついには、将軍実朝が暗殺されてしまう。
 政子がどのような立場で、どれだけ関わっていたは不明だが、北条主導の幕府とするために自分の子を犠牲にし、源氏の血を絶ってしまった事は確かなことである。



 「北条政子」というと「鬼嫁」というイメージだが、子のことでは大変な苦しみを背負いながらその生涯を終えたと思われる。当時の高い位にある家の子育ては、実の母親が育てるのではなく、乳母がつき教育をする。政子の子らもそれぞれに乳母がつき育てられた。

 長男の頼家は、比企氏が乳母を務めた。その上頼家は、比企氏の娘と結婚したことから、余計に実母政子との縁が遠くなった。政子は、「愛」に関して、もの凄く真直ぐな女性で、頼朝の浮気相手の家を「叩き壊す」というような嫉妬丸出しの行動を平気でとれる女性でもあったため、息子への愛も重過ぎるものがあったのかもしれない。それが「比企憎し」に発展してしまったのではないだろうか。最終的には、その「比企憎し」が、頼家を追放し暗殺しなければならなくなる。

 次男の実朝は、頼家の子公暁によって暗殺される。
 公暁は、実朝と北条氏を「親の仇」として生きていたと思われるが、公暁を哀れに思った政子は、京に僧としての修行に出したり、鶴岡八幡宮寺の別当に就任させるなど、随分と世話をしたようである。
 しかし、それが公暁に絶好の「敵討ち」のチャンスを提供してしまったのかもしれず、さらには夫頼朝の源氏政権をたった40年余で終らせてしまったのかもしれない。

 悲運な生涯を終えたのは息子たちだけではない。長女と次女についても時代の大きな流れの中で亡くしている。
 長女の大姫は少女のころ、木曽義仲の子で鎌倉に人質として送られてきた義高になつき、婚約までしていた(結婚していたともいわれる。)。しかし、その義高を殺害する命令が頼朝から出されたため、大姫は密かに義高を逃がしたのだが、すぐに捕らえられて殺されてしまった。大姫は生きる気力を失くし、長い間病気を繰り返し、最終的には自殺してしまったともいわれている(参考:木曽義高の誅殺)。

木曽義高塚(常楽寺) 大姫ゆかりの岩船地蔵堂

 次女の三幡は、天皇に嫁ぐことがほぼ決まっていたが、高熱を発し、京より招いた医師に診てもらったものの助からなかった。この死には、京の医師が上皇に命ぜられ毒を与えたとの説もある。

 いずれの子らも権力争いに巻き込まれ死んでいった。頼朝も亡くなり、子も亡くした政子はどのような心境だったであろうか。愛が空回りした一生であったと後悔したのだろうか。伊豆の田舎で暮らしていれば、このような不幸には見舞われなかったはずだ。

政子が建てた壽福寺


政子の墓(壽福寺)


政子ゆかりの安養院


政子宝篋院塔(安養院)


政子が建てた長楽寺跡


政子産湯の井
伊豆韮山成福寺



頼朝・政子の歴史探訪(伊豆の旅)

願成就院 修禅寺
真珠院 成福寺
香山寺 三嶋大社
蛭ヶ小島






源頼朝と伊豆国
尼将軍と呼ばれた北条政子
源氏の繁栄・衰退・再興・滅亡
源頼朝の失政か?・・・大姫入内問題
源頼家の悲劇〜比企氏の乱の真相は・・・〜
北条政子の晩年・・・子たちへの思い
北条政子の頭髪曼荼羅〜源頼朝の一周忌〜
乳母制度と頼朝・頼家・実朝
二代将軍源頼家
源頼家の誕生
源実朝の誕生
源実朝の暗殺と倒幕を企てた後鳥羽上皇〜承久の乱〜
恐るべき北条政子〜比企能員暗殺・比企一族滅亡〜
吾妻鏡の物語と比企氏の乱
比企能員を暗殺した仁田忠常という武将
公暁と源実朝の暗殺・・・源氏の滅亡
北条政子の上洛と将軍継嗣問題








「源氏」「鎌倉」「頼朝」トップ

鎌倉手帳トップ
鎌倉検定のページ
(3級・2級・1級の問題と解説)
カスタム検索