鎌倉手帳(寺社散策)

加藤景廉一族の墓
伊豆市牧之郷

岡戸事務所
編集:岡戸秀仁







加藤景廉一族の墓


 加藤景廉(かげかど)は伊豆国の牧之郷を治めた武将。

 工藤茂光とともに源為朝を征伐したと伝えられている。

 1180年(治承4年)8月17日の源頼朝挙兵に従い、山木館襲撃では、佐々木盛綱とともに伊豆国目代の山木兼隆を討ち取った(参考:香山寺)。

 直後の石橋山の戦いでも活躍している。

 頼朝の亡き後の1203年(建久3年)に起こった比企の乱では、比企能員を暗殺した仁田忠常を謀殺したことでも知られている。

 1219年(建保7年)に将軍源実朝が暗殺されると、警備の最高責任者だった景廉は、その責任を負って出家し覚蓮房妙法と号した。

 1221年(承久3年)8月3日に没し、牧之郷に葬られている。





 加藤景廉は、伊勢国出身の武将・加藤景員(かげかず)の子。

 景員は、伊勢国で平氏の家人を殺害したことから、子光員、景廉とともに伊豆国へ逃れ工藤氏に身を寄せていた。

 1180年(治承4年)に源頼朝挙兵すると父子ともに参じ、石橋山の戦い頼朝が大敗すると景員は箱根山中で出家し、伊豆山権現に入っている。

 源頼朝が帰依した伊豆山権現の覚淵、松田山(神奈川県松田町)に西明寺(現:最明寺(大井町))を建立した源延も景員の子だという。

 『吾妻鏡』によれば、8月19日、北条政子伊豆山権現の覚淵の坊に移って隠れ住んでいた。



金剛寺跡碑


 現在、牧之郷に並んでいる五輪塔は、1958年(昭和33年)の狩野川台風によって流され散乱していたものを住民によって集められたもの。

 この地には、鎌倉時代から室町時代にかけて牧之郷の地頭を勤めた遠山氏の菩提寺金剛寺があったという。遠山氏は加藤景廉を祖とする氏族。

 1785年(天明5年)、墓の下からは、景廉の孫にあたる善願上人の蔵骨器(舎利瓶)が発見されている(修善寺郷土資料館に展示)。

 ※江戸時代に活躍した「遠山の金さん」(遠山景元)は加藤景廉の子孫。











加藤景廉一族の墓
加藤景廉の墓

伊豆市牧之郷90−2

伊豆箱根鉄道駿豆線「牧之郷」駅から徒歩



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