| 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも |
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後鳥羽上皇への恭順の意を表した歌で、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の二の鳥居の柱に彫られています(現在、鎌倉国宝館前に建てられています。)。 |
| 大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも |

稲村ヶ崎 |
相模の海を歌った男性的なもので、潔さや清らかさが伝わってくる歌です。どこから見た海かは不明ですが・・・。 |
| 古寺のくち木の梅も春雨にそぼちて花もほころびにけり |
| 源頼朝が父の菩提を弔うために建立した勝長寿院の梅を歌ったものです。 |
ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらし
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ
伊豆の国や山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり |

伊豆山神社 |
二社詣で(伊豆山権現・箱根権現)に出掛けたときに、伊豆を歌ったものです。 |
| ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ |

源実朝公御首塚 |
親の子を愛するということを詠んだ歌です。母に裏切られ果てに殺された実朝の心境がよく表されているようです。秦野市にある実朝の御首塚に碑が建てられています。 |
| 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ |
| 1211年(建暦元年)の洪水の被害に際して、「恵みの雨も過ぎると民は嘆くことになる」ので、雨を司る八大龍王に祈念して詠まれた歌です。 |
| 出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな |
暗殺される日、実朝はこの歌を詠んで、髪を結ってくれた者に髪の毛を与え出て行ったと伝えられています。首が見つからなかった実朝の棺には、この髪の毛が納められたということです。
この歌は、『金槐和歌集』に載せられている歌ではありませんし、実朝が詠んだ歌であるという確証もありませんが、実朝の悲劇を伝える歌として知られています。 |
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源実朝は、『新古今和歌集』の撰者藤原定家に師事しました。
『金槐和歌集』は、『鎌倉右大臣家集』とも呼ばれ、定家から万葉集が送られた1213年頃に成立し、自撰のものと考えられています。 |
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