鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉七口:仮粧坂
〜鎌倉の古道〜



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〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







 仮粧坂は、鎌倉七口の一つに数えられ、鎌倉の重要な防禦拠点だった。
 名の由来は、平家の首をこの坂で化粧したからとも、娼家があって化粧した女がいたからともいわれる。
 新田義貞の鎌倉攻めの際には新田軍の主力が投入され(参考:鎌倉幕府の滅亡)、上杉禅秀の乱のときにも戦陣となった。
 その一方で、曾我兄弟の弟五郎時致と梶原景季の遊女をめぐる恋物語の舞台ともなっている。
 鎌倉から仮粧坂を越えれば、藤沢、戸塚を経て武蔵に通じ、逆に鎌倉へ入ると武蔵大路、窟小路を経て鎌倉の中心部に通じる。 

鎌倉炎上〜新田義貞の鎌倉攻め〜(okadoのブログ)
曾我五郎時致の恋物語(okadoのブログ)



小町屋があった気和飛坂
 幕府は、1251年(建長3年)、小町屋を指定し、大町、小町、米町、亀谷辻、和賀江、大倉辻、気和飛坂山上以外での商業が禁止した。牛を小路につないではいけないことや小路の清掃も義務付けている(参考:小町屋の指定)。
 当時の仮粧坂山上には、多くの家が建ち並んでいたことが窺える。
 (※「気和飛坂」=「仮粧坂」というのが定説。)
 曾我五郎時致は、ここで働く遊女少将に「逢うと見る夢路にとまる宿もかな 辛きわかれにまたもかえらん」という歌を贈ったという。

『とはずがたり』の記述
 1289年(正応2年)、鎌倉にやって来た後深草院二条は、仮粧坂から見た鎌倉を「家々が階段のように重なり合って、袋の中に物を詰め込んだようである」と表現している。

鎌倉を訪れた後深草院二条・・・『とはずがたり』(okadoのブログ)




ハイキングを楽しみながら歴史と自然を満喫

葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース 浄智寺
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↑↓ ↑↓ 大仏
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◎「景清窟」跡
 「景清窟」は、悪七兵衛と呼ばれ源頼朝暗殺を企てた平氏の侍大将平景清が幽閉されたとされる牢跡。
 景清は、一般的に平姓で呼ばれているが、それは平氏の都落ちに従ったためで、本当は藤原秀郷の子孫であるといわれている。
 (※兄の忠光も永福寺建設工事の視察にきた頼朝の暗殺を企て、処刑されている)。

◎向陽庵大悲堂碑
 平景清の娘人丸姫は、捕えられた父に会うため京都より鎌倉に下ってきたが会うことはできなかった。
 景清の死後、尼となった人丸姫は、景清が幽閉されていた石牢の上に、景清の守本尊(十一面観音像)を祀ったという(向陽庵)。
 数年後に亡くなった人丸姫は、扇ヶ谷に葬られ、そこは「人丸塚」と呼ばれていたというが、その塚もいつしか崩され、現在は安養院に預けられている。
 向陽庵に祀られていた十一面観音像は海蔵寺にある。 。

源頼朝暗殺計画!(okadoのブログ)




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