小町屋があった気和飛坂
幕府は、1251年(建長3年)、小町屋を指定し、大町、小町、米町、亀谷辻、和賀江、大倉辻、気和飛坂山上以外での商業が禁止した。牛を小路につないではいけないことや小路の清掃も義務付けている(参考:小町屋の指定)。
当時の仮粧坂山上には、多くの家が建ち並んでいたことが窺える。
(※「気和飛坂」=「仮粧坂」というのが定説。)
曾我五郎時致は、ここで働く遊女少将に「逢うと見る夢路にとまる宿もかな 辛きわかれにまたもかえらん」という歌を贈ったという。 |
『とはずがたり』の記述
| 1289年(正応2年)、鎌倉にやって来た後深草院二条は、仮粧坂から見た鎌倉を「家々が階段のように重なり合って、袋の中に物を詰め込んだようである」と表現している。 |
鎌倉を訪れた後深草院二条・・・『とはずがたり』(okadoのブログ)
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