鎌倉手帳(寺社散策)
小町大路の歴史散策
〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜

現在の小町大路 |
小町大路は若宮大路の東側を並行し、筋違橋から宝戒寺、本覚寺を通り、大町大路を横断し、乱橋を渡って材木座まで通ずる鎌倉の基幹道路であった。
小町大路の両側には、御家人の屋敷や商家が並んでいたものと考えらる。
日蓮がこの小町大路を中心に布教活動を行ったため、「辻説法通り」とも呼ばれている。 |
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「小町大路」は、「小町通り」とは違います。 |
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説によると小町大路は筋違橋から夷堂橋までとするものもあります。 |
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筋違橋跡碑 |
筋違橋は、鎌倉十橋の一つ。
宝戒寺から金沢方面に進むと筋違橋跡に石碑が建っている。金沢街道に対して「くの字」に橋が架かっていたことからこの名が付いたといわれている。
1247年年(宝治元)の宝治合戦では、安達景盛らによって、その戦端が開かれたのが筋違橋といわれている。
この戦いで三浦泰村は敗れ、泰村をはじめとする三浦一族は、源頼朝の法華堂で自刃した。法華堂跡には三浦一族の墓といわれる「やぐら」がある。 |
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宝戒寺(天台宗)
宝戒寺は、後醍醐天皇が北条氏の菩提を弔うために足利尊氏に命じて建立した寺。
「萩の寺」として人気がある。 |
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紅葉山やぐら
宝戒寺後方にあるやぐら。
紅葉山やぐらは、昭和10年に発見され、北条執権ゆかりの者の骨を納めたやぐらとされている。海蔵寺にある十六ノ井と全く同じものも出土されている。 |
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東勝寺跡碑
宝戒寺の後方には、北条高時ら一族が自刃したと伝わる東勝寺跡があり、北条高時らが葬られたと伝わる「腹切やぐら」がある(参考:鎌倉幕府の滅亡)。
東勝寺は、北条泰時が退耕行勇を開山として建てた寺といわれるが、廃寺となった時期も含めて不明である。退耕行勇は、東勝寺で最期を遂げたといわれている。 |
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琴弾橋
琴弾橋の裏山は、小御所ヶ丘と呼ばれ、琴弾の松があった。この松の枝の風に鳴る音は、琴を弾くように美しかったと伝えられている。
小御所とは、二代将軍源頼家の子一幡の住んでいた御所。 |
| 小町大路には、日蓮が辻説法を行ったということもあって、日蓮宗の寺が並ぶ。 |

妙隆寺(日蓮宗)
(鍋かむり日親の寺)
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大巧寺(日蓮宗)
通称「おんめさま」 |

本覚寺(日蓮宗)
通称「にっちょうさま」 |

妙本寺(日蓮宗)
(比企一族滅亡の地) |

常栄寺(日蓮宗)
通称「ぼたもち寺」 |
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辻説法跡碑
辻説法跡碑は、廃寺となった妙勝寺にあった「日蓮の腰掛石」を日蓮信者田中智学が現在の地に置き、辻説法跡の旧跡とした。
智学は、辻説法の旧跡は蛭子神社あたりと考えていたが、余地がなかったので現在の地を選んだという。 |
本覚寺の門前の夷堂橋を渡ると大町、本覚寺までが小町。
夷堂橋は、本覚寺の鎮守「夷三郎社(夷堂)」があったことからこの名がついた。下を流れる滑川は「夷堂川」と呼ばれている。
滑川は、胡桃川、坐禅川、夷堂川、炭売川、閻魔川と名を変えながら相模湾に注いでいる。 |
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小町大路の散策(筋違橋〜大町四ツ角)
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町屋跡碑と魚町橋
大町四ツ角(大町大路)を過ぎると、町屋跡碑と魚町橋がある。この辺りは鎌倉の中心的な繁華街であったと考えられる。 |
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逆川橋
鎌倉十橋の一つ「逆川橋」。下を流れる逆川が海とは反対方向に流れていることからこの名がついた。 |
辻の薬師堂は、つい通り過ごしてしまいそうな小さなお堂だが、中には行基作と伝わる薬師如来像と十二神将像2体が安置されている。
本興寺は、日蓮が辻説法を行った所で、ここにも辻説法跡碑が建てられている。 |

水道路交差点 |

水道路 |
水道路交差点
水道路は、鎌倉に水道が引ける以前に、横須賀の海軍のために引かれた水道の鉄管を敷設した路。
名越方面に進めば長勝寺がある。 |
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乱橋
妙長寺(日蓮宗)を過ぎると鎌倉十橋の一つ「乱橋」がある。
新田義貞の鎌倉攻めの際、北条勢がこの橋付近で乱れはじめたことからこの名がついたといわれる。 |
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小町大路の散策(大町四ツ角〜材木座)
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