奈良・京都

朝 倉 堂
京都:清水寺


岡戸秀仁
編集:岡戸秀仁







朝倉堂


 清水寺の朝倉堂は、1510年(永正7年)、応仁の乱の戦火で全焼した清水寺が復興されたときに、清水観音を信仰していた越前の朝倉貞景が、本堂を模した「法華三昧堂」として寄進したもの。

 そのため、「朝倉堂」と呼ばれている。

 創建当初は、朱が鮮やかな舞台造りだったという。

 現在の建物は1633年(寛永10年)に再建されたもの(重要文化財)。

 堂内には、宝形作り唐様厨子(重要文化財)の内部に、本堂と同じ清水寺型千手観音と脇侍の毘沙門天・地蔵菩薩の三尊像が祀られている。

 洛陽三十三所観音霊場第十三番札所。



〜足腰に効く仏足石〜

 平氏の侍大将平景清の足形ともいわれているもの。

 撫でると足腰に効くといわれ、何百年もの長い間、撫で続けられてきたため、石に彫刻されていた釈尊の十一種の妙相文様はほとんど消えてしまっている。


〜鎌倉に残された平景清の伝説〜

 平景清は、源頼朝を暗殺しようとして捕らえられ、鎌倉の仮粧坂の土牢に幽閉されたと伝えられている。

 鎌倉に残されている伝説では、景清は十一面観音像を守り本尊とし、その死後、娘の人丸姫が景清の牢跡に向陽庵を建てて祀ったという。

 現在、その像は仮粧坂近くにある海蔵寺に安置されている。


鎌倉:景清窟
景清窟
(鎌倉)


〜源頼朝暗殺の伝説〜

転害門(東大寺)

景清塚(石清水八幡宮)

頼朝暗殺を企てた平景清の伝説









清水寺
清水寺

 清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。
 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。


京都市東山区清水1−294






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