鎌倉手帳(寺社散策)

源頼朝をめぐる大阪 源義朝最期の地



京都:清水寺

岡戸事務所
編集:岡戸事務所







清水寺


 清水寺は、奈良時代後期に創建された北法相宗の寺院。山号は音羽山。

 778年(宝亀9年)、霊夢を受け音羽山麓にたどり着いた延鎮(えんちん)が、そこで出会った行叡居士(ぎょうえいこじ)に授けられた霊木で千手観音像を刻み、滝の上に庵を結んだのがその始まりだという。

 のちの798年(延暦17年)、延鎮に帰依したという坂上田村麻呂が自邸を仏殿として寄進し、十一面千手観音を本尊として安置した。

 本尊の千手観音は、「清水型十一面千手観音」と呼ばれ、一般的なものとは姿が異なる。秘仏で33年毎に開帳されている。


 清水寺を創建した延鎮は、奈良興福寺の僧。
 夢のお告げによって旅をし、辿り着いた場所が、現在の清水寺の地だったという。





境内の建築物・施設等
清水寺

清水の舞台、三重塔をはじめとする清水寺境内の建築物・施設などをご紹介。







〜源頼朝の守り本尊〜

 1189年(文治5年)に源頼朝が建てた持仏堂(のちの法華堂)の本尊は聖観音像。

 この像は、頼朝が三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像で、1180年(治承4年)の挙兵の際、髷の中に納めていたものだという(参考:しとどの窟)。



〜足利尊氏の願文〜

 1336年(建武3年)8月27日、足利尊氏は自筆の願文を清水寺に奉納している。

 内容は、「自分は仏の加護を賜り、今後の果報は弟の直義に与えていただきたい」といったもの。

 その前年、尊氏は、後醍醐天皇の意に逆らって鎌倉に下り、中先代の乱を平定したため、一時、鎌倉の浄光明寺に蟄居したという経緯もある。

 尊氏の願文奉納のきっかけは定かではないが、後醍醐天皇との戦いに勝利した時期の願文のため注目されている。



〜常盤御前と清水観音〜

 『平治物語』によれば、源義経の母常盤御前は、幼少の頃から清水観音を信仰し、1159年(平治元年)の「平治の乱」で夫源義朝が敗れた後も清水観音へ参り、三人の子(今若・乙若・牛若)の命を助けてくれるよう祈ったという(参考:子安塔(子安観音))。

 常盤の三人の子の命を救ったのは清水観音で、源頼朝の命を救ったのは八幡大菩薩(石清水八幡宮)だったとも伝えている。


清水寺子安塔
子安塔(三重塔)



〜清水寺の参道〜

 現在では、松原通(清水道)や五条坂が清水寺の参道として賑わっているが、中世までの参道は、八坂の塔(法観寺)を経て三年坂を上る道だったという。


清水寺三年坂
三年坂(産寧坂)



〜歌の中山〜

 清水寺の子安塔から清閑寺までの山路は「歌の中山」と呼ばれ、幕末には成就院の月照と西郷隆盛の密談が清閑寺の茶室行われたという。


京都:清閑寺
清閑寺



清水寺に奉納された足利尊氏の願文(okadoのブログ)









清水寺
清水寺

京都市東山区清水1−294

市バス206系統・東山通北大路バスターミナル行、100系統清水寺祇園 銀閣寺行で五条坂下車、徒歩10分
京都バス(土・休日のみ運行)18系統・大原行で東山五条下車、徒歩10分






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