鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その1
荏 柄 天 神 社


編集:岡戸事務所
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〜鎌倉を知って鎌倉観光をより楽しく。〜







=怒り天神《荏柄天神社》=


荏柄天神社
(本殿は鎌倉最古の木造建築といわれる。)
 荏柄天神社は、源頼朝が鎌倉に入るより前からある古い神社で、1104年(長治元年)の創建と伝わる。荏柄山天満宮とも称され、幕府の鬼門の守護神でもあった。京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられている。
 1590年(天正18年)、小田原北条氏を攻め、関東を統一した豊臣秀吉も参拝し、徳川家康に命じて社殿の造営を命じたという。
 本殿は、鶴岡八幡宮造営の余った木材で修理を繰り返し、鎌倉最古の木造建築として残されている(国指定文化財)。
 境内にそびえる大銀杏は、鶴岡八幡宮の大銀杏に次ぐ大きさ。
 「木造天神坐像」、「木造天神立像」は、憤怒の表情をしていることから「怒り天神」といわれる(鎌倉国宝館に寄託)。

祭神 菅原道真 八雲大神(須佐男尊)

 残念なことですが、鶴岡八幡宮の大銀杏は、平成22年3月10日未明に倒れてしまいました(参考:鶴岡八幡宮の大銀杏)。

〜国の重要文化財の本殿〜
 三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の本殿は、1316年(正和5年)の建造物で、1622年(元和8年)、徳川幕府によって鶴岡八幡宮若宮の本殿がに移築されたものといわれている。
 荏柄天神社は、鶴岡八幡宮とともに鎌倉幕府をはじめとする武家政権の崇敬と保護を受けてきた。
 鎌倉における建築物の中で唯一鎌倉時代に建造されたもの。

 (okadoのブログ)
 荏柄天神社本殿〜唯一の鎌倉時代の建造物〜


荏柄天神社の初詣






荏柄天神社の寒紅梅
荏柄天神社の梅〜古代青軸〜
荏柄天神社の梅
荏柄天神社のシャガ2012/04/18
菅原道真と梅・・・。

荏柄天神社の神紋
 菅原道真は、宇多・醍醐天皇に重用され右大臣にまでなったが、無実の罪で大宰府に流され、そこで没した。死後、朝廷に祟りをなしたため天神として祀られた。現在は学問の神として親しまれている。
 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は、道真が京を去るときに詠んだといわれる歌。
 荏柄天神社には、道真にちなんで多くの梅の木が植えられ、ご神紋も「梅鉢」が使用されている。

万事皆夢の如し〜荏柄天神社の祭神:菅原道真〜(okadoのブログ)


 「荏柄天神の石碑」には、「社前の松並木を古来馬場と称す」と刻まれている。
 現在、たくさんの梅の木が植えられた参道は、「馬場」として使用されていた。
 源頼朝によって「馬くらべ」が催されたことにちなんで、昭和の初めには、流鏑馬が行われていたという。



古代青軸
 本殿左手の梅は「古代青軸」と呼ばれ、花の中心が青みがかっている。
 反対側の本殿右手には、鎌倉で一番早く咲くという「寒紅梅」がある。 
◎かっぱ筆塚の石碑
 昭和46年、漫画家清水崑が愛用した絵筆を納めるために建設した石碑。
 カッパの絵は清水崑が、石碑の裏の文字は、作家川端康成が揮毫した。
 参考:絵筆塚祭

鎌倉:梅の名所 鎌倉の梅2010

◎絵筆塚
 横山隆一をはじめとした漫画家154人によるカッパの絵をレリーフした筆形の塚。
 毎年10月には、絵筆塚祭が行われている。

絵筆塚

カッパレリーフ

かっぱ筆塚と絵筆塚(okadoのブログ)
絵筆塚祭〜荏柄天神社〜(okadoのブログ)


大銀杏
 「天神画像」が降ってきた場所に聳える大銀杏。
 里人が、天神画像が降ってきた場所が踏まれないように「銀杏」を植えたのだと伝えられている。
 樹齢900年ともいわれ、高さが25メートル、胴回り10メートルにもなる大木。
 詳しくは写真をクリック

荏柄天神社の御神木〜大銀杏〜(okadoのブログ)

◎尾崎迷堂句碑
 尾崎迷堂は、杉本寺の住職も務めた僧侶。僧侶のかたわら俳句に精進し、土地の人々と俳句を通じて交流を深めた。
 句碑裏面には、荏円満天神御詠歌 鎌倉右大臣 実朝の忌なりけり 「大慈咲き大悲さきたるさくらかな」 と刻まれている。


荏柄天神社のミツマタ



☆伝説!渋川兼守の鎌倉十橋「歌ノ橋」
 謀反の罪(参考:和田合戦)で捕らえられた渋川刑部六郎兼守は、謀叛の罪を晴らすため、十首の和歌を荏柄天神社に奉納した。
 するとその和歌を見て感心した三代将軍源実朝は、罪を許して釈放したという。兼守がそのお礼にと架けた橋が鎌倉十橋の一つ「歌ノ橋」
(参考:六浦道(路)その1(okadoのブログ))

☆伝説!荏柄天神社縁起☆
 1104年(長治元年)8月25日、荏草郷といわれた土地に、にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきた。
 神験を恐れた里の人々は、その場所に社殿を建て、その画像を祀ったと伝えられる(『相模國鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)。

万事皆夢の如し〜荏柄天神社の祭神:菅原道真〜(okadoのブログ)


☆伝説!魔の淵のお地蔵さま!☆
 岐れ道の交差点を鎌倉宮に向けて曲がると、右側にお地蔵さまが安置されている。
 横を流れる川は昔、「魔の淵」と呼ばれ青黒い水が流れており、多くの人がここに住む魔物の餌食になったため、杉本寺の住職の発願でここにお地蔵さまを安置したという。
 一説には、染谷時忠の娘が鷲にさらわれたとき、その血がしたたり落ちていた場所ともいわれている(参考:辻の薬師堂 甘縄神明神社)。
(参考:鎌倉宮参道(okadoのブログ))

荏柄天神社の初天神〜筆供養〜
荏柄天神社のシャガ2012/04/18
(okadoのブログ)






武家の古都・鎌倉の世界文化遺産推薦(okadoのブログ)



北条義時と和田義盛の対立(和田合戦)

◎和田胤長の邸
 荏柄天神社の下の地は、和田義盛の甥胤長の邸があったところ。
 胤長は、幕府への謀叛を企てたという疑いで捕われ奥州へ流罪となった。義盛は一族98人を引き連れ、幕府に許してくれうよう要求したが聞き入らられず、縛りあげられた胤長は一族の目の前で流罪を言い渡された。
 その後、義盛は将軍源実朝に願い、胤長の邸を貰い受けたが、北条義時によってそれが取り消され、義時のものとなってしまう。
 これが1213年5月に起こった和田合戦の原因となった。一族の三浦氏も義盛方につく約束であったが、三浦義村はこれを裏切った。義盛軍は、実朝法華堂に避難するほどに幕府を責めたてたが、次第に北条方の兵が増し、由比ヶ浜で最期を遂げた(参考:和田合戦 北条義時の独裁と和田義盛 和田塚)。

和田義盛ゆかりの地
和田の里(三浦市) 来福寺(三浦市) 浄楽寺(横須賀市)

和田合戦〜北条義時の徴発と三浦義村の裏切り〜(okadoのブログ)



近くには・・・。
関取場跡
 北条氏康(小田原北条氏)が、荏柄天神社の修復費用に充てるため、通行税をとった所。
 その掟書は荏柄天神社に所蔵されている。
 「徒歩は五文、背負人は十文、里人の行き来及び僧侶は無料」

 土地の人は、この場所を「せきば」と呼んでいた。


六浦道(路)その1  荏柄天神社参道



≪主な行事≫
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荏柄天神社の初詣
新年の荏柄天神社(okadoのブログ)

1月25日:筆供養(初天神) 2月8日:針供養
7月25日:例大祭 10月:絵筆塚祭

 筆供養針供養の季節には、梅も咲き始め、本堂右手に植えられている「寒紅梅」が見頃になっていると思います。


神輿


荏柄天神社の初天神〜筆供養〜
(okadoのブログ)




六浦道(路)その1  荏柄天神社参道






荏柄天神社:鎌倉市二階堂74  0467−25−1772

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