
タブの木の下に建つ重保の宝篋印塔 |
鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)の傍らに建つ宝篋印塔は、畠山六郎重保の墓と伝えられ、明徳6年(1393年)の銘のある石塔。重保は畠山重忠の嫡男。
重保の屋敷は、大鳥居の近くにあったと伝えられている。
1204年(元久元年)、三代将軍源実朝の坊門家息女との縁談が整ったことから、姫を迎え入れるため15人の若武者が京都へ差し向けられた。畠山重保もその一人に加わっていた。
その折、京都守護の平賀朝雅と重保が喧嘩となり、それを根に持った朝雅が、北条時政に「畠山父子が謀叛を企てている」と讒言したことにより、畠山父子は討たれることになる。 |