鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その1
畠山重保の墓
〜六郎さま:若宮大路〜


編集:岡戸事務所
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タブの木の下に建つ重保の宝篋印塔
 鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)の傍らに建つ宝篋印塔は、畠山六郎重保の墓と伝えられ、明徳6年(1393年)の銘のある石塔。重保は畠山重忠の嫡男。
 重保の屋敷は、大鳥居の近くにあったと伝えられている。
 1204年(元久元年)、三代将軍源実朝の坊門家息女との縁談が整ったことから、姫を迎え入れるため15人の若武者が京都へ差し向けられた。畠山重保もその一人に加わっていた。
 その折、京都守護の平賀朝雅と重保が喧嘩となり、それを根に持った朝雅が、北条時政に「畠山父子が謀叛を企てている」と讒言したことにより、畠山父子は討たれることになる。

 1205年(元久2年)、重保は、由比ヶ浜に謀叛人が集結しているとの報を耳にすると、従者3人とともに浜に向かった。
 しかし、待ち構えていた三浦義村の手の者が重保を取り囲み、重保は訳のわからぬまま討ち取られてしまった。父重忠も北条義時らの軍に攻められ討死している(参考:畠山重忠の乱 畠山重忠殺害と北条氏の世代交替



北条時政という武将(okadoのブログ)



畠山重保邸跡碑

若宮大路の散策
大鳥居脇の六郎さま


六郎茶屋の碑
◎六郎茶屋碑
 重保の宝篋印塔は「六郎さま」と呼ばれ、せきで苦しむ人たちが願をかけると咳の病気が治ると言い伝えられている。
 重保が喘息をもっていたことから、このような話となって伝わっているのだという。
 願をかける人は、竹の筒にお茶を注いで、これを供えて拝んだと言われ、墓のわきには「六郎茶屋」という茶屋もあった。







 畠山重保の墓の真前には、鶴岡八幡宮の大鳥居が建てられている。
 徳川家綱の寄進で御影石で造られた明神鳥居。


鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)


若宮大路の散策  大鳥居脇の六郎さま





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