鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その1
覚 園 寺


編集:岡戸事務所
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=仏像の宝庫《覚園寺》=
(真言宗泉涌寺派)

愛染堂

鎌倉十三仏第11番札所
(阿しゅく如来)
鎌倉地蔵巡礼第3番札所
(黒地蔵(火焚地蔵))
 覚園寺は、1218年(建保6年)、二代執権北条義時の建てた大倉薬師堂を前身としている。焼失後の1296年(永仁4年)、九代執権北条貞時が、元寇が再び起こらぬようにとの願いから寺に改めた。
 鎌倉幕府滅亡後も後醍醐天皇の勅願所、足利尊氏の祈願所となった。鎌倉最大の茅葺の薬師堂には、尊氏銘の梁が使用されている。
 大悲殿跡地には、江戸時代の古民家で、手広にあった内海家の住宅が移築されている。
 裏山には「百八やぐら」と呼ばれるやぐら群がある。

開山 智海心慧
開基 北条貞時
本尊 薬師如来
山門



◎大倉薬師堂
 二代執権北条義時は、日頃信心していた薬師如来を安置するため薬師堂の創建を思い立ったが、「三代将軍源実朝の参拝の儀式も行われ、何かと出費が多い中において工事を始めるのは賢明なことではない。」と家臣に戒められた。しかし、「私財を投じて建てる。」として工事を完成させたという。
 これには、源実朝暗殺に関わる「戌神将伝説」に原因があると伝えられている。
 覚園寺のある谷戸を「薬師堂ヶ谷」と呼ぶが、大倉薬師堂があったことに由来している。

☆伝説!源実朝暗殺と覚園寺の戌神将☆
 二代執権北条義時は、鶴岡八幡宮で行なわれた三代将軍源実朝の右大臣拝賀式に剣持ち役として参加する予定であったが、夢の中に白い犬が現れ、参加を取りやめるようにいったという。
 拝賀式当日、気にしながら式に向うと、夢と同じ白い犬が現れたため、気分を悪くし式を欠席した。
 式後、実朝は甥の公暁によって暗殺され、義時の代役源(中原)仲章も殺されてしまった。
 義時のもとに現れた白い犬は、覚園寺十二神将のうちの「戌神将」の化身といわれている(参考:源実朝の暗殺(源氏の滅亡) 実朝の暗殺)。

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◎愛染堂
 廃寺となった大楽寺の本堂を移築したもの。愛染明王(中央)、不動明王(右)、阿しゅく如来(左(鎌倉十三仏の一つ))が安置されている。

◎試みの不動
 愛染堂の鉄造の不動明王像は、願行上人が伊勢原の大山寺の不動明王(国重文)を鋳造するにあたって、試しに造ったものであると伝えられていることから、「試みの不動」と呼ばれている。廃寺となった大楽寺の本尊だった。願行上人は、江ノ島に参籠して不動明像の鋳造を行った。

◎大楽寺跡
 大楽寺は、願行上人によって胡桃ヶ谷(浄明寺)に開かれたが、永享の乱によって焼かれてしまったため、覚園寺のある薬師堂ヶ谷に移された。その後、明治初年に廃寺となった。愛染堂は、明治38年に覚園寺に移築されたとのこと。
 鎌倉宮から薬師堂ヶ谷の小路を覚園寺へと向かう途中にある。右側に庚申塔があり、そこを左に入ったところ。

◎薬師堂
 薬師堂とは、薬師如来、脇侍の日光菩薩(右)と月光菩薩(左)に十二神将を合せた15体の仏像が安置されている仏殿のことで、覚園寺の本堂。廃寺となった理智光寺の本尊鞘阿弥陀像や伽藍神像、賓頭盧尊者像も安置されている。
 本尊薬師如来は、「生きている者を救う」仏で、脇侍の日光・月光菩薩は、薬師如来の弟子となる。日光菩薩は昼、月光菩薩は夜を担当し、24時間体制で信じる者を救うといわれ、十二神将は、薬師如来を守る役目を果たしている。
 薬師堂は元禄年間に建て直されたが、材料は従来のものを使用しているため以前の面影をよく残している。
 天井の梁には、1345年(文和3年)に薬師堂を修理した際に足利尊氏が書いたという文字が残され、その内容は、「天皇陛下のもとで世の中は治まり、元の軍の降伏を祈ったおりには寺が栄えた。仏法はますますきわまりなく、人々は仏と法と僧の三宝を敬い、国内は平和で日々を楽しむことを願う。」というもの。
 天井画は狩野典信(みちのぶ)が描いたものといわれている。

◎仏像の数々
 木造薬師如来坐像(国重文)、日光・月光菩薩像、十二神将像(国重文)、阿弥陀如来坐像、愛染明王坐像、鉄造不動明王坐像、地蔵菩薩立像(国重文)ほか。

◎鞘阿弥陀(さやあみだ)
 理智光寺の本尊だった木造阿弥陀如来坐像は、胎内にも仏像を納めていたことから「鞘阿弥陀」の名がある。鎌倉独特の土紋装飾が施され、鎌倉六阿弥陀の一つに数えられていた。
 参考:土紋装飾の仏像
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大師堂〜覚園寺参道〜


◎黒地蔵縁日
 覚園寺の地蔵菩薩立像は、別名「黒地蔵」と呼ばれ鎌倉二十四地蔵の一つに数えられる。
 地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼に代わって火を炊いたため、「黒くすすけている」という伝説がある。何回彩色しても元に戻ってしまったことから、「黒地蔵」と呼ばれている。
 黒地蔵の両側には千体地蔵が安置され、黒地蔵の分身として千体地蔵の一体を借りて供養するとご利益がたちどころに現れるという。
 8月10日の「黒地蔵縁日」は、御前0時より行われ、鎌倉の夏の風物詩となっている。
 (参考:黒地蔵縁日

覚園寺の黒地蔵縁日(okadoのブログ)

◎ツバキ(太郎庵)
 地蔵堂裏のツバキは、「太郎庵」と呼ばれ、英勝寺の「侘助」とともに市の天然記念物に指定されている。

◎鎌倉十井「棟立ノ井」(むなたてのい)
 薬師堂背後の山ぎわにある横井戸。
 家屋の棟立(破風)のような石の下から湧いているのでこの名がある。弘法大師が井戸を掘り、仏に奉納する水を汲んだと伝えられる。拝観することはできない。
 別名→破風ノ井(はふうのい)
 (参考:鎌倉十井

◎開山塔と大燈塔
 薬師堂の奥にある開山智海心慧と二世大燈源智の墓。
 どちらも国の重要文化財に指定されている安山岩製の宝篋印塔。拝観はできない。

◎願行と智海心慧
 大楽寺を開いた願行は、真言・律・禅・浄土の四宗を修めた高僧。
 覚園寺開山の智海心慧は、京都泉涌寺にいた願行から密を受け、極楽寺の忍性に戒律を受けたといわれている。したがって、覚園寺も四宗兼学の寺院だった。
 理智光寺、大町の安養院も願行が開いたとされる寺で、扇ヶ谷の浄光明寺の愛染明王像、玉縄の玉泉寺の胎内不動は願行作と伝えられている。
 願行は、鎌倉に泉涌寺派を伝えた人物で、弟子の智海心慧がそれを開花させた。


 一番奥の高い木は「もみ」の木。南関東一の大きさといわれ、鎌倉宮の鳥居辺りからも眺めることができる。




 覚園寺総門のあった所からは、百八やぐらを経て天園ハイキングコースへ通ずる小道があります。
☆「やぐら」とは?☆
 丘陵山腹を穿って造られた仏堂的な横穴の墳墓。壽福寺北条政子源実朝の墓は、このやぐらの中にある。

天園ハイキングコース(鎌倉アルプスを散策)

明月院 ハ イ キ ン グ コ ー ス
建長寺 半僧坊 勝上けん展望台 十王岩 鷲峰山 天園 貝吹地蔵 瑞泉寺
↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓
朱垂木やぐら 百八やぐら
覚園寺
獅子舞
永福寺跡
お塔の窪やぐら
十二所神社
大江広元墓
初め弁天
明王院

◎庚申塔
 かつて覚園寺の総門があった場所。
 ここから、山道の入ると百八やぐらを見ながら天園ハイキングコースに合流することができる。
 鎌倉宮から薬師堂ヶ谷の小路を覚園寺へと向かう途中にある。



大師堂〜覚園寺参道〜
鎌倉アルプスの散策・・・前編 後編



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鎌倉の真言宗の寺

〜拝観時間が限られていますのでご注意を。〜

拝観時間
10:00、11:00、正午(土・日・祝日)、13:00、14:00、15:00
(雨天・荒天、8月、年末年始は拝観できません。)
※勝手に拝観することはできません。

覚園寺
鎌倉市二階堂421  0467(22)1195





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