鎌倉手帳(寺社散策)


鎌倉寺社巡り その1
鎌 倉 宮


編集:岡戸事務所
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=悲運の皇子護良親王《鎌倉宮》=



祭神 大塔宮護良親王
 鎌倉宮は、明治天皇によって護良親王を祀るために建てられた。長い歴史において、この鎌倉宮が唯一「天皇自らが創建」した神社。
 護良親王は、「建武の新政」を行なった後醍醐天皇の皇子。親王は、楠木正成らとともに鎌倉幕府打倒を目指して戦い、幕府滅亡後には征夷大将軍に任ぜられている。
 しかし、1334年(建武元年)11月15日、再び武家政権を狙う足利尊氏と対立し、この地にあった東光寺に幽閉されてしまう。その後、1335年(建武2年)、十四代執権北条高時の子北条時行が反乱(中先代の乱)を起こしたため、当時鎌倉にいた足利尊氏の弟の直義は、親王を殺害し鎌倉を逃れた(時行が親王を担ぎだす虞があったためと思われる。)。
 親王の首は、廃寺となった理智光寺の住職によって葬られ、理智光寺跡親王の墓がある。境内には、親王が幽閉されていたとされる土牢が残されている。
◎大塔宮
 護良親王は、11歳で比叡山延暦寺の大塔に入室したことから「大塔宮」(おおとうのみや)と呼ばれた。鎌倉宮も別名「大塔宮」と呼ばれている。

北条得宗家の滅亡〜最後の得宗北条時行〜(okadoのブログ)
護良親王(大塔宮)の失脚(okadoのブログ)
足利尊氏・直義兄弟と鎌倉(okadoのブログ)
鎌倉宮の初詣と獅子頭



◎南方社
 護良親王とともに鎌倉に来た藤原保藤の娘南の方を祀っている。南の方は妙法寺中興開山の日叡の母。妙法寺に墓がある。

◎村上社
 元弘の変において、護良親王の下で戦い、親王の身代わりとなって自刃した村上義光を祀る。

◎土牢
 護良親王は、足利尊氏によって社殿裏の土牢に約9ヶ月間に亘って幽閉されたという。1335年(建武2年)、北条時行が反乱(中先代の乱)を起こすと、尊氏の弟直義によって殺害された。長期間の幽閉による弱った体では、何の抵抗もできなかったという。

◎構廟(御首塚)
 足利直義の家臣淵辺義博によって切られた親王の首がおかれた所。親王は、義博の刀を噛み折り、死んでもなお放さなかったことから、恐れをなした義博は首を捨てて逃げ去ったという。親王の首は理智光寺の住僧によって葬られた(参考:護良親王の墓)。

◎多宝塔
 護良親王の子日叡が教えを受けたという日賢上人の供養として建てられた。
(参考:妙法寺

◎獅子頭(お守り)
 鎌倉宮の獅子頭は、護良親王が兜に獅子頭をつけていたことに由来する。

草鹿
 源頼朝が富士の裾野で巻狩りを催したときに、草を束ねた鹿をつくり稽古したのが起源。鹿の形の的を射る神事(5月5日)。写真は練習風景。
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理智光寺跡
護良親王墓の入口
近くに→→→理智光寺跡
 理智光寺は、大山寺を再興した願行が開いたと伝わるが定かではない。
 また、もともとは、三代将軍源実朝の供養のために建てられた寺だったともいわれている。明治に入って廃寺となった。
 阿弥陀堂にあった本尊阿弥陀像は、現在、覚園寺に移され薬師堂に安置されている(鞘阿弥陀)。
 理智光寺跡の長い階段の上に護良親王の墓がある。
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神苑山あじさい散歩道

鎌倉宮参道  二階堂大路 荏柄天神社参道
大師道〜薬師堂ヶ谷:覚園寺参道〜

≪主な行事≫

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鎌倉宮の初詣と獅子頭
新年の鎌倉宮(okadoのブログ)

立春前日:節分祭 5月5日:草鹿
6月30日:大祓式 8月19〜20日:例大祭
10月:薪能 12月31日:大祓式






鎌倉宮:鎌倉市二階堂154  0467−22−0318 

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