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鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に登場する「大倉稲荷」のことではないかといわれている。
『吾妻鏡』の弘長元年5月1日の条に、「幕府は、大倉稲荷に会合している者を捕らえようとしたが、悉く逃げてしまった。」と記述されおり、翌月には「三浦義村の子良賢が謀叛によって捕らえられた。」と記述されている。
ここから考えられるのは、大倉稲荷で会合していたのは、幕府転覆を狙う三浦氏の残党であったとも考えられる。
この『吾妻鏡』に記述されている「大倉稲荷」が、現在の「大蔵稲荷」である可能性があるといわれているが定かではない。 |